展覧会の詳細はこちらを:http://jakuchu.jp/jotenkaku/index.html

物凄い濃ゆい週末だったので、何から記しておくべきか解らないくらいなのですが。やはり、まずは若冲展から。

この展覧会の詳細については、上記の公式サイトを見て頂くのが良いのですが、とにかく相国寺の開基足利義満600年忌記念として相国寺にある「釈迦三尊像」と皇室に寄進されて今は宮内庁が管理している「動植綵絵30幅」が120年ぶりの「再会」を相国寺で果たす、という特別な展覧会。

ブライスコレクションを3週間位前に見て、幸運にもまたすぐに、そんな貴重な展覧会で見られる若冲で・・。

あまり何も考えずに(人手が凄いということだけは憂慮してましたけど)とにかく行ってこようと、行って参りました。出張の帰り道。

いやー、あまりに月並みで、こんな凡庸な言葉しかないんかい、って感じなんですけどね。

素敵!本当に素敵。素晴らしかったです。

人混みを差っぴいても、行って本当に良かったです。だってね、全部を見終わったら、頭の靄が取り払われた様にすっきりしてしまって。

酸素とイオンたっぷりの森林浴をしたみたいに、脳がリフレッシュしちゃったんですよ。

こんな経験、初めてかもしれない。仏のパワー、恐るべしです。


まずは第一室の展示の『鹿苑寺大書院一之間と三之間の床の間を飾っていた「葡萄小禽図」「月夜芭蕉図」』が素晴らしい。

先日のプライスコレクションの葡萄も良かったですが、こちらの襖絵。もうねー、頭がガツン、です。

素敵、素敵、素敵。本当に素敵。気持ちが上がります。

あー、これだけだって見れて良かった。


そうして、入場規制で延々待って入室した第二展示室。

皇室に寄進された動植綵絵が里帰り、という側面ばかり気を取られていましたが、若冲が自身と弟と両親の永代供養のために寄進したという釈迦三尊像。

お部屋に入って真正面に飾られているのですが。

実に美しいのーーーーーー。

あまりに美しくて圧倒的で目が離せないんですよ。

で、涙が出てくるんですよ。

もうね、その仏の慈愛ががじんじんと、心に沁みてくるですよ。えーーーーん。

仏教の知識が乏しいことが、少々悔しいのですが。仏教画、宗教画の力なのではないでしょうか。

ワタクシ、前世のどこかで地中海人だったとか、たわけたことを普段ほざいていますが。

現世はやっぱり日本人だったのねぇ、少なくとも東洋人だったのねぇ、と。仏教文化に慣れ親しんで生きてきたんですねぇ。

美しい仏教画に涙が出てくるんですもん。


そうして、その釈迦三尊像を取り囲む動植綵絵。

あー、もう、言葉になりません。

生きとし生けるものに仏が宿る、という仏教の考えがしみじみと伝わってきます。

ワタクシ、曼荼羅も好きですが涅槃図もとても好きなんですね。御釈迦様が亡くなられた時に、ありとあらゆる生き物がその死を悼んで嘆き悲しんでいるというモチーフ。

この動植綵絵は、それとは逆に生きとし生けるものを、活き活きと描いているわけですが。そうして躍動感に満ちているのですが、とても静謐な感じを受けるんですよ。

仏の慈愛に満ちた静謐な空気とでも言うのかなぁ。

本当に素晴らしかったです。



やっぱりこの33幅は一緒にいるべき絵画たちなのだと、思いましたねぇ・・・・・・・・・。

うーーーん、是非またこの絵画たちが一堂に会す機会を作って欲しいなぁ。

・・・・宮内庁、頭が固そうですけどねぇ、宜しくお願いしますです。
土曜は、前の会社で、私の部下というか、ペアーになって仕事をしていてくれた女性のオウチでホーム・パーティ。

最近彼女の家に行く時は、チーズ・フォンデュの道具持参での、「出張チーズフォンデュ屋」と化しております。はい。

チーズ2種(グリュイエールとエメンタール)、フランスパン、チーズおろし(2〜3種)、白ワイン、フォンデュ用の串。

ついでにフォンデュには関係ないけど、プレゼント用に自家製ハーブ・ビネガー。

毎年大晦日に食べているので、チーズフォンデュは別に目新しくは無いのだけれど、食べればやっぱり美味しいなーっと思うのだよねぇ。

彼女とは通算7年位一緒に仕事をして、毎日の様に残業がある職場でしたから、それはそれは長い時間を一緒に過ごしたものでした。

もちろん、ビールを飲みに行ったり、海にみんなで行ったり、と公私共々とっても仲良くしていた、大好きな女性なのです。

少々年下の彼女も今や2時の母ですし、話題はどうしても子供のこと。

片や私は、フジロックに行こうかどうしようか、なぁんて御気楽なことだけ考えてる人生なわけで・・・・・。

思えば遠くにきたもんだ、と、思ってしまった午後でございました。
昨日は元同僚・現親友の女の子と、Irish Pub に行って、生のバス・ペールとギネスを飲みながらガールズトークを4時間半も繰り広げて参りました。

お互いの今の悩みや、あれやこれや。

えー、泣きましたとも。

でもねー、話すだけ話したら、やっぱりすっきりしている自分がおります。

おぉー、ガールズトーク、万歳だねーー。



途中、噂のギリシャ人からも電話が入り、ガンは少なくとも良性の模様とのことで、一安心。

いずれにしても今年1度御見舞いもかねて会えたら良いなぁ、と希望的観測を持つことにします。

今日は雨も上がったし、この2日間の凹みから回復したいなー。

あー、やっぱり、高気圧(not高血圧)万歳だねー。この2日間は低気圧とダブルパンチで辛かったですが。

太陽、万歳で、あと2日!そしたらGWだもんね。カレンダーどおりだけどさ、SOILのライブもあるもんね♪
私は二十歳の時に交通事故にあって、トータルで10ヶ月くらい入院してたので、その間に色々な体験もしたし、怪我で下半身不随になった若者や病で亡くなる方と時を過ごしたり、した。

自分自身が、運び込まれた救急病院で「よく生きてたね。」と言われた位ですから、生と死についてはそれこそ小娘にしては考えさせられたものです。

で、結局、人間死ぬ時は死ぬんだ、と。どんなにあがいても死ぬのよね、と思って生きているわけです。

突然に身内や親しい友人が亡くなるということは、もちろん哀しいことだけれど。生きている以上、どんな順番であれ死はどこかで待っているわけで・・・・・。

生きているウチが華なのよ、ってついつい思ってしまうんだよね。

以前よく、誰かと「喧嘩別れ」はしたくないと思っていた。

もし誰かと喧嘩をして、そのままどちらかに何かがあってもう二度と会えなくなってしまったら、後悔を抱えたまま生きてゆかなくてはならないだろうと思っていたから。

喧嘩をしたら必ず仲直りをしようと思っていた。

でも、最近は諦観がもっと進んだので、何をしてもしなくても、別れが来る時は来るものなんだよな・・・と、思っている自分がいる。

年を重ねれば、愛しい人たちがひとりずつこの世からいなくなってしまうことになる。

でも、だから。

この世にいる間には笑いあって、愛し合って、愉しく一緒に生きていきたいよねって。

本当にそれだけですねー。最近思うことは。





ギタリストの浅野さん、もう荼毘にふされたでしょうね・・・・。心より、ご冥福をお祈りいたします。
昨日行ったライブの感想は個別に書き記しましたが、その他や周辺の徒然なぞ。

昨日はお昼頃にはまだ仕事のめども付いていないし、うー、夜どうしようかなぁって思っていたのですが。

ひとつ嬉しい出来事で、「よし、午後頑張って働いてライブに行こう!」って思えたのでした。

そうして、ライブに行って、ほぐれた気持ちになれて。音楽の力をまたちょっと感じたわけです。ありがとう。

あー、やっぱりさー、人生って捨てたモンじゃないよねー。


ライブに途中サラリーマン4人組が乱入してきて煩わしかったなー。あの人たち、きっとバーのラウンジみたいな感じでBGMにジャズが流れてる感じで呑みたかったんだろうなー。

You guys are at the wrong place!

KAMOMEはそういう店じゃないのになー。知らなかったのでしょうから、しょうがないけどさ。目の前にいられると目障りよねん。

でも人の気というかオーラというか、凄いね。4人も音楽に無関心な人がいると(おまけに小さな声ではあるが喋ったり笑ったり、携帯電話をずっと見てるとか)、とたんにその場のそれまでの親密なintimateな素敵な雰囲気のバランスが、壊れる。

音楽聴きたい派は、恐らくみんな、努力してその人たちを見ないように、無視しようと努めたと思う。うーん。興味深かったです。ま、どうでも良いんだけどね。

どうでも良いハナシをもうひとつ。KAMOMEは経営が落ち着いたのか、オーナーの雰囲気が落ち着きましたね。オープンした頃に凄くかっこ付けてた感じのオーナーが、去年の夏あたりだったか、だらっと伸びたTシャツ姿で立ち働いているのを見るに付け、このお店大丈夫なのかなーと、他人事ながら思ってましたが。えへへへへ。

またハンバーグサンド食べましたが、普通に美味しかったので安心しました。ビールを2杯、ギネスを2杯。チン!¥6,600なり〜。


その後、帰ろうと歩き出したら、あ、そうだ大岡川の桜見て帰ろうと思い立ち。

桜を見上げながら歩いていたら、せっかくだから近所の馴染みのバーの美味しいジン・リッキーを呑みたいなーと思い立ち。

で、行ったら久々のメンツと愉しい与太話。あはははははと笑い続けた時間と相成りました。

お久の再会は結局、2組。あー、馴染みのお店ってやっぱり良いなー。最近家の近くのバーにばかり行ってるんだけどねぇ。

誰かに元気になって欲しいなって思って貰えたり、逢えて愉しかったよって言って貰えるっていうのは、やっぱりとてもとても嬉しいことですね。そうやって何とかやってゆけるんだよね。お気遣いを下さったみなさま、本当にありがとう。愛しております。
もやに煙った海沿いの道。

高層ビルたちも、ぼんやりと湿った空気に包まれています。

すぐそばに、立っているはずなのに。

すぐそばに、立っている様には見えないんじゃないのかな、あなたたち。


何だか自分みたいだな。

おーい、そこにいますか?

おーい、私はここにいますよ。



今はきっとそういう時期だということなのでしょう・・・・・

と、淋しく思いながら。
そうか。

あの時私は人生を変えたかったんだなー。


と、今なら解る。

前の会社にとことん疲れて。

仕事の愚痴ばかりを言う自分の生活に本当にうんざりしていて。


そんな時からもうすぐ5年が経とうとしています。

サラリーマン生活は、時に自分の人生を支配している様な気がしてしまうものだけれど。

人生はさ。

変えられるんだよね。

うん。

fragile

2007年2月23日 ヲトナ道
Yesのアルバムで、壊れ物って邦題ついてましたね。

fragile

壊れやすい、はかない、脆弱なもの。


ちょっとしたバランスの上に成り立っていて、一度損なわれたらもう後には戻れないもの。

キラキラと、ふわふわと、ハザマで煌く輝き。



久しぶりに、ちょっと垣間見た気がしましたけれど、やっぱりパキンと消えてゆきました。

もう、戻らない。

訃報 再び

2006年6月25日 ヲトナ道
また、訃報を受け取った。

正確には加入している生命保険の会社から、「退職のお知らせ」という葉書が届いたのだった。

よくよく読んでみると、友人でもある担当者が『逝去した』と、書いてある。

葉書を見つめて、数秒・・・・・。

こんな形で受け取る訃報もあるんだなぁ。

確かに、ここ数年お会いしていなかったし。共通の友人はいないし。私にその知らせがくるわけもなく。

でも、一時は結構頻繁にご飯を食べたりカラオケに行ったりして遊んでたんだよねぇ。カノジョの話とか聞いたりしましたねぇ。

彼は、年のころは48歳くらいかな・・・・・・。若いなぁ。

息子さんがウチの甥っ子と同い年だった気がするから17歳か。下に女の子もいたはず。そうそう、彼はソウルミュージックが大好きだから、女の子にはアレサ・フランクリンにちなんだ名前をつけたって話していた記憶がある。

はぁあ。皆さん、人間いつ何があるか、本当に解らないんですよ。愉しく生きましょうね。
人と人の「付き合い」って、本当に難しい。

ワタシは、一度交通事故で死に損なって後は余生だと言い暮らしてはきましたが。

そこは若気の至り。

あれこれ、墓場までもっていきたい失敗や秘密もございます(笑)。

でもねぇ、最近つくづく思うのは、儀礼・義理・形式の付き合いはやめよう、ということ。

自分が好きだ、大切だと思う人たちだけと付き合ってゆきたいんだな。

それが例え少数なのだとしても、寂しくなんかない。

本題からはちょっと外れるけれど、そもそも日本の付き合いは義理や形式が幅を利かせているのが、実に気に入らないしさ。

お祝いをプレゼントしても、半額相当の何かを返すとかさ。ばっかじゃないのーーーーーーーー。って思うわけよ。

そもそも互助みたいなことから発達した香典やご祝儀だとしたら。相手が物入りの時にそれをみんなで負担するんならそれで良いじゃん。いちいちその時にお返ししてたらなんにもならん。と腹が立つ。

だから、お返しをしてきそうな、つまり義理という範疇でのお付き合いの人にはもうお祝いとか、しない。義理の結婚式やお葬式は行かない、ときっぱり生きたいもんだ。(お世話になったときのお礼は別よん。)

でもねぇ、微妙なラインでの冠婚葬祭ってものもあるのよねぇ。

義理でもない、でももうちょっと薄れかかっている人間関係とかさ。

ご本人そのものはそれなりに知っているけど(親密ってほどではない)、全くお会いしたこともない親御さんが亡くなったとかさ。

そういうのに不義理を重ねて良いものか、と思う弱気な自分もいるわけさ。


若い時には、若い時なりの悩みがあって。

中年には、中年なりの悩みがあるのよねぇ。

まったく。

人間は社会に生きる生き物だからしょうがないんだけどさ。

まぁ、アメリカみたいに、「勝手に独善的に自己を叫ぶ」様にはならないように気をつけようと、思っていますがねぇ。

でもさ、生きている、そしてプラスの感情を伴っている人間関係が大切なのよ。

義理はいらんのよ。
6月ももう後半へ突入ですね。ってことは、もうすぐ今年の半分が終わってしまうということになりますなぁ。

今年は時が経つのが早い。去年・一昨年は気が遠くなるくらいに遅かったのに。



ベーシストの青木氏が亡くなって1週間。普段私がネット・サーフィンしているページは音楽好きの方が書いているところが多いので、当然ながらその話題に触れているページが多いのですが・・・・。

近藤房之助氏もコメントを出されていましたね。「オレもすぐそっちへ行くから!」って、近しい者の偽らざる心境って感じがして、しんみり。

BAJでのライブ告知もFusanosuke & His B and Oというクレジットから変更されてますね。

以前、バンドは誰とやるかということが重要だから、ということでそのメンバーによってバンド名も変えてきていらっしゃるという様なことをインタビューで話してらしたのを聞いた気がするから、もしかしたらもうHis B & Oという名義はお使いにならないかもしれないなぁ、などと思いながら・・・・・。


それも弔いのひとつのあり方だよなぁ・・・・、などと、ぼんやり思ってみる。


人はさぁ、亡くなったらあっと言う間に火葬にされてお骨になってしまって。


残された者の想いとは別に、肉体はあっけないよね。

ふぅ。

まぁ、そうやって。順繰り順繰りに逝くわけですが。



本当に、遺言状ちゃんとしなくちゃなぁ、と思う今日この頃。遺言状を書く会なんて言って呑んだくれてる場合じゃないぞよ。Kさま、CHA様。
この間上原ひろみのライブの最中に、ココロが彷徨いだしてゆくように、様々な思いが浮かんでは消え・・・・としていたのですが。

トリオのメンバーは、ベーシストがイギリス出身、ドラマーがスロバキア出身というメンツだったのですよ。

そして、東洋出身のピアニストと彼らがこの地球のどこかで出逢って、意気投合してトリオを結成して、アメリカ、ヨーロッパ、中東、日本にツアーに出て・・・・と。

こうやって国境なんかひょいっと超えて行けるんだよなぁ、と久々に実感した瞬間でした。

自分自身の人生だって、意識するにしろ無意識にしろ、様々な分岐点があって。

昔留学していた時にあのままアメリカにいて当時のボーイフレンド(ギリシャ人)と結婚する、という選択肢もあっただろうし、前の仕事を辞めた後にもその時の上司にはアメリカで働いたらどうだ、って結構強く勧められたりも、した。

でも結局、今の私は、今の状態で、ここにいるわけで。

そういう目に見えたり見えなかったりする選択肢を通り過ぎて、今ここにいるんだよなぁ・・・・・、なぁんてね。来し方を思ったりしてしまいました。

さて、行く末はどうなるんでしょうねぇ。
もちろん、仕事。もちろん、日帰り。

でもねぇ、仕事の後にお楽しみが。

ふっふっふ。

先日来一緒にお仕事をしていた人が、そのプロジェクトからは外れてしまったのだけれど、共に音楽好きということで「ビール&音楽与太話の夕べ」を企画していたのでした。

何でも旨くて汚いお好み焼き屋さんに連れて行ってくれるということでそれはそれは楽しみにしていたのでした。だって、そういうディープ地元のお店って大好きなんだもん。

梅田で待ち合わせして、地下鉄で移動。もう、それはとても独りでは辿り着けない商店街の中のジモティーのお店ですよ。

う〜〜〜ん、期待大!

店に入った瞬間にもの凄くでっかい声でおぢちゃんが電話で喧嘩してるし。(もちろん柄の悪い大阪弁で)こういうのは観光客的には面白い。ははは。

頼んだのは、(豚)モダン焼き、(イカ)ねぎ焼き、牛スジのオムレツ。

もちろん普通にお好み焼き系は美味しいんだけど、牛スジのオムレツが超〜旨い!口に入れた瞬間、感動的に好きな味だと思いましたがな。

いやぁ、これはね、「未知との遭遇」と呼びたいくらいの一品。だって、横浜あたりでは見た事ないメニューだし。

美味しく準備してあるスジにはほのかに八角の香りがする気がして、それを青ねぎとソースで炒めてオムレツの具にしてあるんだけど・・・・・。

うま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い。

ビールに合う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

興奮体質のワタクシは、もうここでハイテンションに陥りましたです。

うれし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(笑)。

もうさぁ、こういうのってほんとーに、愉しいよねぇ。冷たいビール呑みながら、スジ食べて、そして本日の議題は「音楽あれこれ与太話」ですよ。

そうこうしていると、ねぎ焼きも鉄板の上に置かれている間に水分が蒸発してまた味が変わってきて更に美味しくなってきた、と。

ぐふふ。庶民の楽しみ。

さいこーーーーーーー♪

いやぁ、本当に是非また行きたいっす。Nさん宜しくお願い致します。m(_ _)m

ところで、今日とりわけ印象的だったのは、昨日ご一緒したこのNさんには、仕事で関係が無くなったので私のこの拙いブログをお知らせしていたのだけれど。音楽話を愉しく読んでくれたそうで。

そうして、帰りぎわに私のことを評してこんな風に言ったこと。

『音楽を切実に必要としている人なんだなって思った』。

あぁ、そうかもしれない。そういう言葉に置き換えたことは無かったけれど。

たぶん・・・。

お酒と音楽と(しかもできればライブで)小説がなければ、生きてゆくのは随分とハードなことになっていたに違いない、と。

言われてみればそうなんだ。

そして、そんなふとした会話の一瞬に、自分の人生を振り返らせてくれるような一言に巡り合わせてくれるから、ヒトとヒトの出会いって面白い。

そうして、こういう出逢いって人種も世代も性別も関係ない。もちろん、人は出会って別れてゆくものだから、その後縁が無くなる人はたくさんいる。

それでも、こういう一瞬があるから、う〜ん、生きて行くのも悪くないよね、って思えるんだ。

ふふふ。

あ〜あ、何だか愉しい日帰り出張だったなぁ。

往復の新幹線ではマイクル・コナリーのThe Closersに読み耽り、愉しくビールを呑んで帰ってくるなんて。

たまにはこういう出張があると、まぁもうちょっと働いてもいいかな、とも思う、かな。

いや、やっぱり仕事はめんどくさいけど。へへへ。何たって怠け者のワタクシですので。

この一日は「オトナ道」にカテゴライズして良い一日ですな。あ〜、愉しかった。

夏休み考

2005年9月12日 ヲトナ道
ふぅ。

だれてます。

夏休みらしい休みなしで、終わろうとしている2005年夏。え〜〜〜んっと、ぐれてるってところでしょうか。

やっぱり夏好きは夏にお休み取って遊ばないと駄目だなぁ・・・・。

仕事で忙しい夏なんでキライじゃ。
いきなり青いこと言っちゃいますが、実は冠婚葬祭って凄く苦手なんです。

日本のそれらはお付き合いや義理としての色合いが強いので、めんどくさい。

で、この度友人が結婚するのだが、回りが勝手に予想していた「レストランかどこかでの会費制の気軽なパーティー形式」ではなく、どうやらちゃんとした結婚式場での披露宴を挙げるらしい。

しかも、会社の人は招ばずに、いわゆるふつうのちゃんとした披露宴では招かないような、飲み屋での知り合いレベルまでを招待して。

もうその知り合いの飲み屋では大パニックが引き起こされております。何でオレがよばれるんだ?とかお祝いどうしよう?とかとかとか。

う〜〜〜〜〜む。

今時の披露宴に出席する際のご祝儀って3万円位でしょ?本人はお祝いなんて気にしなくて良いから、なんて脳天気なこと言ってますが、はっきり会費制にでもしてくれなければ、そうはいかないじゃんか。

披露宴の内容はそれなりに企画をして、堅苦しい形式では無いらしいんだけどねぇ・・・・・。(あくまで、「らしい」。)

祝儀にしろ不祝儀にしろ、人と違う形式でしたいのならば、回りにもはっきりとその趣旨が解り、出席者があれこれと気を病まないようにする責任があるんだなぁ、としみじみと実感。

日本の儀礼社会において、披露宴って社会的な行為じゃない?

新郎である友人はいいとしても、相手の家の思惑もあるよねぇ、なんてこと。普通のオトナなら容易に想像できることですから。

そういうのを取っ払って、本人はそこで自我を満足させてるのでしょうが、大方の招待される側はそうはいかない。

オトナたるもの、招待される方への配慮も必要だよなぁ、と思ってしまうわ。

ったく、オトナ道は大変です。
引き続き24(シーズン2)中、なのですが。ちと飽きてきた。あと2話なんだけどねぇ。

ところで、オトナの夏休みってやっぱりつまらないのぉ。プール遊びも最近では皮膚がんとかシワとかシミとか中年太りとかあれこれあれこれ考えなきゃいけないし。

家でDVD観てるなんて、なぁんか夏好きの私としては冴えない感じっす。だって冬でも出来るじゃんね、カウチポテト(死語?)なんて。

旅行に行くとか、イベントに行くとか、何かの助けを借りないと夏って面白くないのかなぁ・・・・。

ビーチにねっ転がって、本読んで、ピニャコラーダ呑めば、ココロの底からシアワセになれるのはわかっているのにねぇ。

オトナってめんどくさい。
昨日はライブが終わった後、台風のせいでモーション・ブルーが10時にしまってしまったので、なんとなぁく物足りなくてゲイ友と馴染みのバーへもう一杯呑みに行くことにした。

モーション・ブルーで既にビールとワインを2本平らげていた私たちはかなぁり気持ちの良い状態。

ゲイ友はつい最近ベトナム旅行へ行ってきたばかりなので、話は文化の差から、スターウォーズまで取りとめもなく延々と続く、続く。

そして、彼と私の考え方というのはことごとく違うのだ。

動物占いなら、羊と狼。
星座占いなら、おひつじ座とみずがめ座。

私はどちらかと言うと自分の直感を疑わないうぬぼれ屋だし、彼は猜疑心が強い。

他にもあれこれ、ぜぇんぜん異なるパーソナリティ。

なので、何かについて話すとほぼ必ず議論は白熱して、回りには言い合いの様に見えることがあるみたい。

でも、本人達は(少なくとも私は)その議論を楽しんでるんです。へへへ。

だってね、こういう場で機嫌が悪くなって議論が成り立たない人って意外といるんだもん。

昨日もそんなこんなで、スターウォーズのエピソード7.8.9はたとえジョージ・ルーカスが監督じゃなくても製作した方が良いか否か(ちなみに私は反対派・彼は製作した方が良い派)とか、見たばかりのライブの感想、などなどなど・・・・。ついつい夜更かししてしまった。

久々のゆったりと楽しいひととき、でした。

新しい流れ

2005年7月13日 ヲトナ道
ふと。

何となく、なんだけど。

また自分の生活が少し違う風に乗りそうな気配を感じます。

ちょっと前に厄が明けた云々と言っておりましたが。

過去2年以上の頻繁なライブ通いが「ライブに行って音楽を楽しむこと」そのものをもちろん楽しんではいたのは間違いないのですが、その厄の間の辛い時間をライブに行くことで何かの代償のように紛らわせていたというのは否めないとも思うのです。

そうして、また違う人生のフェーズに向かいつつあるという手ごたえの中で。

ちょっと違う流れの予感がします。違う風が吹いているような気がします。


それがどんな流れなのかまではまだ解りませんが。

たなばた

2005年7月7日 ヲトナ道
七夕ですなぁ。

ふとある人を思い出して、メールを出してみた。

そうそう、昔うまく行かなかった恋の相手。


彼のことを思い出すと、いつもStar-Crossed Loversという曲名を思い出す。

それは何故かと言うと、村上春樹の『国境の南、太陽の西』という作品の中で、登場人物たちがこの曲を聴いて自分達みたいだと言うシーンを思い出すから。


今七夕の短冊に願いを書くとしたならば、私は何と書くのかなぁ。
時々、相手との距離というものに頭を悩ませることがある。

例えば、もっと若い頃にバーにひとりで酒を飲みに行き始めた頃。

複数回行けばお店の人と話をするようになる。音楽の好みが似ていれば話が弾んだりする。

お金を払うという行為を介しているけれど、でも気持ち的には「顔を見に行ったり、話しをしたり、どちらかというと会いに行く」という感じ。

友人に会いに行くのに近い感覚。

決してそのバーの人を男性として好き、という意味ではないのだけれど。

でももちろん「友人」では無いわけで。

自分の個人的生活の中に、そういう人間関係を一体どのあたりに置けば良いものなのか解らなくて、困ったことがある。

客と店という位置関係。

バーの側からすれば(お金を払う)お客さんであって、決して個人的な、あるいは対等ではない気がする関係。

金を払っている方がえらい、というはずもなく。

でもある意味対等なのであろう関係。

もう少しオトナになって、そういう人間関係には慣れてきて。

相手の反応や自分の気持ちで、ある程度区別や配分は出来るようにはなったのだけれど。

最近はミュージシャンとそのオーディエンスあるいはファンという人間関係・位置関係に悩むことがある。

ライブに行って、楽しかったら「楽しかった♪」と伝えたいと思ったりする。出来ればその場で直接に。直接言えなければ、HPのBBSに書き込んだりもする。

それが段々同じミュージシャンのライブに複数行くにつれて、挨拶をしたり言葉を交わしたりする人もいる。

そこで思うわけだ。

「あ〜。これはその昔、どういう距離感を取れば良いのか頭を悩ませた店と客という関係ととても良く似ているなぁ」、と。


あるいは、それとはまたちょっと違うのだけれど。

例えば知り合いに連れて行ってもらったりする画廊のパーティなんかでもいいかな。オープニングパーティなんだけど、プライベートな感じの。仲良しばかりが集まってたりして。

直接に凄く良く知っているってわけでもないし、でも知らないわけでもないし、という距離感の人を中心にした集まり。

でも、その中心人物が魅力的な人なので、やっぱり覗いてみたくて。

でも、そんな人間関係の距離感をどうしたら良いのかなぁ、なんていうことを躊躇したり逡巡なんてしていない、鈍感な人間の振りをして参加したりして。

そうして、クリエィティブな人たちと過ごす一時は、やっぱり楽しい集まりだったりして。

魅力的な人がたくさんいたりして。

凄く楽しんでいる自分を発見したりする。

でもそのパーティが終わって帰ってきて、ちょっと冷静になって考えると、私はその人たちの「おともだち」になれた訳ではなくて。

ちょっと土足で踏み込んでしまった様な後味の悪さを覚えたりする。


まぁ考え過ぎかもしれないんだけどね。


誰もが自分の場や座を何となく探し当てて、落ち着いたりする交友関係。

オトナになればなるほど、相手の反応が読めたりして、考えてしまうことが多々あります。

ふぅ。

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