お金が楽にしてくれることは確かにあるのだ。
2005年6月2日 ヲトナ道昨日ははるばる船橋から逗子行き最終電車に乗って帰ってきて、気持ちを落ち着けるのに一杯@最近良く行くバーにて。
で、寝たのは2時ごろだったと思う。
今朝起きるの辛かった〜〜〜。会社行きたくなぁい、という気分。あと5分、あと5分・・・とだらだらして起き上がれなかった。
でも、今こうやって仕事してると意外に頭はすっきりしている。体の疲労感もそんなにないし、それほど眠くない。
ライブ効果、なんだよねぇ。
祖母の葬儀があったし、お天気の影響もあると思うんだけど、疲れが取れないなぁ、とずーっと思っていて。
先週は脳内ケミカルの分泌量が明らかに減少しているっていう状態だった。(鬱傾向があるので、自分でその時の調子はよく解る。)
こういう時は自分で無理しない、無理しない、と言い聞かせる。
起き上がれない時は「こういう時こその出費だよ。」と思ってタクシーで出勤したりする。
混み合った電車に無理して乗って気分がますます悪くなるよりは、外で飲むビールを一杯我慢しようと思う。
でもさ、私なんて養育する子供がいるわけじゃないし、出費のやりくりなんて結構簡単に効くけどさ。
例えば子供が2人位いて学費がかさんでローン抱えて、毎月のお小遣いが3万円のお父さんという経済状態なんかの場合、たとえ精神状態が悪くなりつつあっても、生活の不安からそうそう楽する方法は見つけにくいよなぁ・・・・・・・と、しみじみ思う。
大体「仕事を休む」ってこと自体、日本の会社はしずらいもんなぁ。
人身事故で電車が遅れています、というアナウンスを聞くとよくそう思うんだよね。
お金が全てでは全然無いし、お金を稼げばえらいわけじゃないけど、お金が楽にしてくれることは確かにあるのだ。
哀しいかな(いや、別に哀しくはないかもしれないけど)それは事実、だと思う。
で、寝たのは2時ごろだったと思う。
今朝起きるの辛かった〜〜〜。会社行きたくなぁい、という気分。あと5分、あと5分・・・とだらだらして起き上がれなかった。
でも、今こうやって仕事してると意外に頭はすっきりしている。体の疲労感もそんなにないし、それほど眠くない。
ライブ効果、なんだよねぇ。
祖母の葬儀があったし、お天気の影響もあると思うんだけど、疲れが取れないなぁ、とずーっと思っていて。
先週は脳内ケミカルの分泌量が明らかに減少しているっていう状態だった。(鬱傾向があるので、自分でその時の調子はよく解る。)
こういう時は自分で無理しない、無理しない、と言い聞かせる。
起き上がれない時は「こういう時こその出費だよ。」と思ってタクシーで出勤したりする。
混み合った電車に無理して乗って気分がますます悪くなるよりは、外で飲むビールを一杯我慢しようと思う。
でもさ、私なんて養育する子供がいるわけじゃないし、出費のやりくりなんて結構簡単に効くけどさ。
例えば子供が2人位いて学費がかさんでローン抱えて、毎月のお小遣いが3万円のお父さんという経済状態なんかの場合、たとえ精神状態が悪くなりつつあっても、生活の不安からそうそう楽する方法は見つけにくいよなぁ・・・・・・・と、しみじみ思う。
大体「仕事を休む」ってこと自体、日本の会社はしずらいもんなぁ。
人身事故で電車が遅れています、というアナウンスを聞くとよくそう思うんだよね。
お金が全てでは全然無いし、お金を稼げばえらいわけじゃないけど、お金が楽にしてくれることは確かにあるのだ。
哀しいかな(いや、別に哀しくはないかもしれないけど)それは事実、だと思う。
私は常々物事の楽しみ方は人それぞれだと思っている。
音楽だけでなく、人の生活に関わる全ての愉しみは個人の自由の範囲で選択できるべきだと思うし、それについて人がとやかく言うことではないと思っているのだ。
嗜好、ですから。
人間を彩る様々な嗜好という選択肢の中で、音楽を選んだ人の中でも、「ライブ」という形態を好きな人もいるだろうし、人混みに行くのは苦手って人もいると思う。
またそのライブの形態だって、着席するホールコンサートが好きな人、スタンディングが好きな人、小さなライブハウスやジャズクラブが好きな人、あるいはオールナイトでのクラブイベントで踊れるのが好きな人・・・・・・・。
千差万別だと思う。
そういう様々な人に対して、誰かが「こうあって欲しい」という形をオーディエンスに押し付けている様なコメントはどうかと思うなぁ。
その人たちが他の人に迷惑掛けていないならば、尚更に、ね。
自分が好ましいと思う人だけがこの世にいるわけじゃあるまいし、そういう人だけに(ライブに)来て欲しい、あるいはみんなそういう人になって欲しいと言っている様な考え方は、どうもねぇ。
私からすると「オトコを下げたなぁ」という感じ。
人間の多様さを認められない人って好きじゃない。
人間の多様さって人種や宗教や国籍と言った「枠組み」みたいなものから、内面的な個人の思考・嗜好まで全てが多様さだと思うから。
う〜〜〜〜む。という気持ちです。
まぁね。彼の演奏が好きなだけであって、個人的に知っているわけでも友人でもないのでどうでも良いんだけれど。
やっぱりそういうコメントを観るのは悲しいなぁ、と思う。
音楽だけでなく、人の生活に関わる全ての愉しみは個人の自由の範囲で選択できるべきだと思うし、それについて人がとやかく言うことではないと思っているのだ。
嗜好、ですから。
人間を彩る様々な嗜好という選択肢の中で、音楽を選んだ人の中でも、「ライブ」という形態を好きな人もいるだろうし、人混みに行くのは苦手って人もいると思う。
またそのライブの形態だって、着席するホールコンサートが好きな人、スタンディングが好きな人、小さなライブハウスやジャズクラブが好きな人、あるいはオールナイトでのクラブイベントで踊れるのが好きな人・・・・・・・。
千差万別だと思う。
そういう様々な人に対して、誰かが「こうあって欲しい」という形をオーディエンスに押し付けている様なコメントはどうかと思うなぁ。
その人たちが他の人に迷惑掛けていないならば、尚更に、ね。
自分が好ましいと思う人だけがこの世にいるわけじゃあるまいし、そういう人だけに(ライブに)来て欲しい、あるいはみんなそういう人になって欲しいと言っている様な考え方は、どうもねぇ。
私からすると「オトコを下げたなぁ」という感じ。
人間の多様さを認められない人って好きじゃない。
人間の多様さって人種や宗教や国籍と言った「枠組み」みたいなものから、内面的な個人の思考・嗜好まで全てが多様さだと思うから。
う〜〜〜〜む。という気持ちです。
まぁね。彼の演奏が好きなだけであって、個人的に知っているわけでも友人でもないのでどうでも良いんだけれど。
やっぱりそういうコメントを観るのは悲しいなぁ、と思う。
最近気が付いたら年若の人が、それも随分と年若の人が回りに急激に増えた。男女を問わず。
知り合い、顔見知り、そして友人と呼んでも差し支えないだろうと言うくらい仲良くなった人。
最年少は17歳!現役高校3年生。これは色っぽい関係にでもなりでもしたら(ってなるわけないけど)条例違反になってしまう(笑)。
それから、19歳、22歳、23歳、24歳、27歳・・・。などなど。
17歳なんてなぁ、息子って言っても良い位の年恰好だもの。メールのやり取りをしている自分を、自分自身でもちょっとびっくりしてしまうよ。はははは。
そういう若者たちと会話をする機会が増えてきて、最初は距離関係をどう取って良いものやら、緊張するというか戸惑うというか、ちょっとね自分でも萎縮する、みたいなのがあったんだよね。
でも最近開き直りというか、肩の力が抜けた気がする。
私は私じゃん。彼らにとって、間違いなく私は年上のおばちゃんだけれど、彼らだってそれを重々承知の上でライブに一緒に行ったり、連絡をくれたりしているわけだから、普通に対等に敬意を持って付き合っていれば良いんじゃん、って。
以前ある方が私が自分の取った行動について凹んでいた時に:
「自己嫌悪に陥る必要なんかこれっぽっちもありません。気にしない、気にしない。自分がどういうスタンスでいるか、が大事なのです。人はいつだって、自分が思ってくれるようには、思ってくれないものなのです。」
と言ってくださったことがあって、とても嬉しかったのですけれど。それがようやく自分の心にしっくりと染み込んだってことなのでしょう。
年齢なんて関係ないって頭では解っていたつもりなんだけれど、あまりに急激に増えた年若軍団に、ココロがうまく対応できていなかった、ってことでしょうか。
私は友人と会った時と別れる時にHugするのが大好きなんだけど、そういうのも含め、まぁ私自身のスタンスややり方で今後もいれば良いのよね、って思えたってことですね、きっと。
なので、私を知っている皆さん(ってここを見ている人はあまりリアルな世界ではお会いしないけど)、会ったときにHugしても引かないでね〜(笑)。
知り合い、顔見知り、そして友人と呼んでも差し支えないだろうと言うくらい仲良くなった人。
最年少は17歳!現役高校3年生。これは色っぽい関係にでもなりでもしたら(ってなるわけないけど)条例違反になってしまう(笑)。
それから、19歳、22歳、23歳、24歳、27歳・・・。などなど。
17歳なんてなぁ、息子って言っても良い位の年恰好だもの。メールのやり取りをしている自分を、自分自身でもちょっとびっくりしてしまうよ。はははは。
そういう若者たちと会話をする機会が増えてきて、最初は距離関係をどう取って良いものやら、緊張するというか戸惑うというか、ちょっとね自分でも萎縮する、みたいなのがあったんだよね。
でも最近開き直りというか、肩の力が抜けた気がする。
私は私じゃん。彼らにとって、間違いなく私は年上のおばちゃんだけれど、彼らだってそれを重々承知の上でライブに一緒に行ったり、連絡をくれたりしているわけだから、普通に対等に敬意を持って付き合っていれば良いんじゃん、って。
以前ある方が私が自分の取った行動について凹んでいた時に:
「自己嫌悪に陥る必要なんかこれっぽっちもありません。気にしない、気にしない。自分がどういうスタンスでいるか、が大事なのです。人はいつだって、自分が思ってくれるようには、思ってくれないものなのです。」
と言ってくださったことがあって、とても嬉しかったのですけれど。それがようやく自分の心にしっくりと染み込んだってことなのでしょう。
年齢なんて関係ないって頭では解っていたつもりなんだけれど、あまりに急激に増えた年若軍団に、ココロがうまく対応できていなかった、ってことでしょうか。
私は友人と会った時と別れる時にHugするのが大好きなんだけど、そういうのも含め、まぁ私自身のスタンスややり方で今後もいれば良いのよね、って思えたってことですね、きっと。
なので、私を知っている皆さん(ってここを見ている人はあまりリアルな世界ではお会いしないけど)、会ったときにHugしても引かないでね〜(笑)。
日が伸びてきて、仕事を終えて事務所を出てもまだほの明るいことが幸せに思える。
薄闇の空には下弦の月。
少し肌寒い風を受けながら歩いているうちに染み出てくる気持ちがある。
さっきまでの幸せな気持ちが、呼びようのない気持ちに染まってゆく。
そして、ふと気付くのだ。
こういう気持ちを寂しい気持ちって言うんだな、と。
人恋しい、やるせない春の宵。
いくつになっても、オトナになっても。
こんなに頼りない、寂しい気持ちになるのだね。
ふぅ。
オトナ道は厳しいなりよ。
薄闇の空には下弦の月。
少し肌寒い風を受けながら歩いているうちに染み出てくる気持ちがある。
さっきまでの幸せな気持ちが、呼びようのない気持ちに染まってゆく。
そして、ふと気付くのだ。
こういう気持ちを寂しい気持ちって言うんだな、と。
人恋しい、やるせない春の宵。
いくつになっても、オトナになっても。
こんなに頼りない、寂しい気持ちになるのだね。
ふぅ。
オトナ道は厳しいなりよ。
仕事を終えて、ふぅ。
仕事場にもいたくない。
かと言って家にも〜現実の場所〜にも帰りたくない。
そのハザマで浮遊していたい、と思うときがある。
そうして、ビールをちょこっと、ぼんやり呑みたいなっと思うのだ。
できれば割りに良い音楽が掛かっていたりすると尚良いな、と思う。
そういう場所でぼぉ〜〜〜〜っと・・、ひと時。
お店の人と話す時もあれば、ひとりで天井なぞ眺めていたり。
こういうときに、おぢちゃんは女の子がいる店に行くのだろうなぁっと想像してみたり。
こういうときに、自分は固定的な関係にあんまり向いていなくてこうやって浮遊したいのだろうなぁ、と思ってみたり。
今日もそんなで、ビールと、マイヤーズのオン・ザ・ロックを少々。
ひとりのような、ひとりじゃないような。
そんなハザマの時間。
仕事場にもいたくない。
かと言って家にも〜現実の場所〜にも帰りたくない。
そのハザマで浮遊していたい、と思うときがある。
そうして、ビールをちょこっと、ぼんやり呑みたいなっと思うのだ。
できれば割りに良い音楽が掛かっていたりすると尚良いな、と思う。
そういう場所でぼぉ〜〜〜〜っと・・、ひと時。
お店の人と話す時もあれば、ひとりで天井なぞ眺めていたり。
こういうときに、おぢちゃんは女の子がいる店に行くのだろうなぁっと想像してみたり。
こういうときに、自分は固定的な関係にあんまり向いていなくてこうやって浮遊したいのだろうなぁ、と思ってみたり。
今日もそんなで、ビールと、マイヤーズのオン・ザ・ロックを少々。
ひとりのような、ひとりじゃないような。
そんなハザマの時間。
ちょっとゆっくり歩いてみましょう
2004年12月15日 ヲトナ道さすがに昨日寝倒したので、体調の割には肌のつやが宜しい。まだ頭に霞が残ってはいるけれど、まぁまぁこんなもんやろ、と働いております。
思えば、色んな疲れがすこ〜しずつカラダや内臓に溜まっていたのねぇと、玄米や野菜スープなど、カラダに優しいものが食べたくなったりします。
でも、慌しく過ごしているとそういうカラダのつぶやきを聞き漏らして急ぎ足で通り過ぎてしまうものなのでしょうね。
さぁ、あと半月で1年が終わります。この1年を振り返りながら。そして新しく来る1年を思いながら。
もう今年の残った日々には、チケットを購入したり予約を入れてしまったライブ以外は行くのをやめようと思います。
欲張れば、カルタさんや雄太さん・・・・。観たい人はいるのですが、また来年でもお会いできるのですから。
走り続けた1年の締めくくりはちょっとゆっくり歩いてみましょう。
深呼吸。
そして、水をたっぷり飲みましょう。
思えば、色んな疲れがすこ〜しずつカラダや内臓に溜まっていたのねぇと、玄米や野菜スープなど、カラダに優しいものが食べたくなったりします。
でも、慌しく過ごしているとそういうカラダのつぶやきを聞き漏らして急ぎ足で通り過ぎてしまうものなのでしょうね。
さぁ、あと半月で1年が終わります。この1年を振り返りながら。そして新しく来る1年を思いながら。
もう今年の残った日々には、チケットを購入したり予約を入れてしまったライブ以外は行くのをやめようと思います。
欲張れば、カルタさんや雄太さん・・・・。観たい人はいるのですが、また来年でもお会いできるのですから。
走り続けた1年の締めくくりはちょっとゆっくり歩いてみましょう。
深呼吸。
そして、水をたっぷり飲みましょう。
走りつづけるその先に・・・
2004年12月9日 ヲトナ道今年は、走りつづける年なんだな、と思った瞬間があった。
その締めくくりに相応しいとでも言うように、行きたいライブや予定がどんどんどんどんカレンダーを埋めてゆく。
よく30を越えると、40を越えると、時が流れるのが早い。一年があっという間だ、と言うけれど、私にとってこの一年はとてもとても長い一年だった。
ようやく何とか凌いでやってこれたなぁ、としみじみ思うのだ。ふぅ。
もう師走なんですよね。今年の冬は暖かいせいか、1年が終わるという実感はないものの。
来年2月の誕生日に新たにひとつ年を取る頃には、少し違ったステージにいられるのかなぁ。トンネルの出口の明かりが少しは見えている気はしているんだけどね。
その締めくくりに相応しいとでも言うように、行きたいライブや予定がどんどんどんどんカレンダーを埋めてゆく。
よく30を越えると、40を越えると、時が流れるのが早い。一年があっという間だ、と言うけれど、私にとってこの一年はとてもとても長い一年だった。
ようやく何とか凌いでやってこれたなぁ、としみじみ思うのだ。ふぅ。
もう師走なんですよね。今年の冬は暖かいせいか、1年が終わるという実感はないものの。
来年2月の誕生日に新たにひとつ年を取る頃には、少し違ったステージにいられるのかなぁ。トンネルの出口の明かりが少しは見えている気はしているんだけどね。
先日タクシーに乗った時に、運転手さんと世間話をしばらくしていたのだけれど、よくよく見ると同い年の近所に住んでいた男の子だった。
多分彼は気付かなかったと思うので、特にそれを持ち出すことなくタクシーを降りたんだけどね。
いや、びっくり。
私は車を持っていないので、近距離でタクシーに割りによく乗るのだけれど。
「お客さん、前にも乗せたことありますよ。」と過去に2度言われたことがあってその時も凄くびっくりしたのだけど、それと同じくらいびっくりしたかなぁ。
そういえば、市営バスの運転手さんにも同級生がいるらしくて、他の同級生に「●●が△△の停留所からおまえを乗っけたって言ってたよ。」と言われたこともあって、それもびっくりした。
バスに乗る時って(横浜市内はほとんど前払いなので)お金を払うことに神経を集中していて、運転手さんの顔なんて見てないもんねぇ。
いやいや、人間悪いことはできまへん。
不倫なんてしている方々は人目を気にするわけだわなぁと妙に納得したりして(笑)。
-------------------------------
この間の、フレディ・マーキュリーの命日は、ある友人のお誕生日であって、またある友人の命日でもあって。
お誕生日であった友人は秋口くらいに携帯にメールを送ったら戻ってきてしまったので、今でも友人なのかよくは解らないのだけれど。それでも一応 hotmail のメルアドにおめでとうメールを送ってみた。
hotmail も使わないとアドレス消えちゃうから、メールが無事届いたのかは解らないのだけれど。
命日であった友人のことも思い出したりしていた。その友人や、自殺してしまった他の友人。そして癌で亡くなってしまった別の友人。この3人にはみんな、横浜の野毛で知り合ったのだった。
最近野毛に遊びにいくこともとんと無くなって、その頃の友人たちに会うこともほとんどない。
そんな話を仕事関係の女性にしていたら、彼女の誕生日も11/24だったのだ。こらまた、びっくり。
そうかと思えば、この間モト君のライブのときにナンパした(って本当にナンパしたわけじゃないけどね)19歳の男の子から、モト君のライブ情報の詳細を教えてください、とメールが来た。
来る縁もあれば、消えてゆく縁もある。
そうやって、あれこれやり繰りして、何とかかんとか過ごしてゆくのよね。
多分彼は気付かなかったと思うので、特にそれを持ち出すことなくタクシーを降りたんだけどね。
いや、びっくり。
私は車を持っていないので、近距離でタクシーに割りによく乗るのだけれど。
「お客さん、前にも乗せたことありますよ。」と過去に2度言われたことがあってその時も凄くびっくりしたのだけど、それと同じくらいびっくりしたかなぁ。
そういえば、市営バスの運転手さんにも同級生がいるらしくて、他の同級生に「●●が△△の停留所からおまえを乗っけたって言ってたよ。」と言われたこともあって、それもびっくりした。
バスに乗る時って(横浜市内はほとんど前払いなので)お金を払うことに神経を集中していて、運転手さんの顔なんて見てないもんねぇ。
いやいや、人間悪いことはできまへん。
不倫なんてしている方々は人目を気にするわけだわなぁと妙に納得したりして(笑)。
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この間の、フレディ・マーキュリーの命日は、ある友人のお誕生日であって、またある友人の命日でもあって。
お誕生日であった友人は秋口くらいに携帯にメールを送ったら戻ってきてしまったので、今でも友人なのかよくは解らないのだけれど。それでも一応 hotmail のメルアドにおめでとうメールを送ってみた。
hotmail も使わないとアドレス消えちゃうから、メールが無事届いたのかは解らないのだけれど。
命日であった友人のことも思い出したりしていた。その友人や、自殺してしまった他の友人。そして癌で亡くなってしまった別の友人。この3人にはみんな、横浜の野毛で知り合ったのだった。
最近野毛に遊びにいくこともとんと無くなって、その頃の友人たちに会うこともほとんどない。
そんな話を仕事関係の女性にしていたら、彼女の誕生日も11/24だったのだ。こらまた、びっくり。
そうかと思えば、この間モト君のライブのときにナンパした(って本当にナンパしたわけじゃないけどね)19歳の男の子から、モト君のライブ情報の詳細を教えてください、とメールが来た。
来る縁もあれば、消えてゆく縁もある。
そうやって、あれこれやり繰りして、何とかかんとか過ごしてゆくのよね。
生と死の分かれ目なんて・・・
2004年10月28日 ヲトナ道相変わらず地震が続いていて、やっぱり周りでは「地震が怖いね」という話がどうしても多くなる。
確かに、怖いよね。自分の住んでいる地域に大きな地震が来て、自分達にどれだけの被害がいつ降りかかるか、なんてこと誰にも解らないことだもの。
私は二十歳の時に一度交通事故で死にゾコナっているので、「生と死の分かれ目」なんてほんの些細な差なだけであって、自分の人生のすぐ横には常に「死の影」が存在しているものなんだ、という気がいつもしてしまう。
だから、地震だって台風だって飛行機事故だって、来る時は来てしまうものなんだよ。そうして、自分がもしかしたら死んでしまうことだって有り得るんだよ、と結構実感を伴って思っているかもしれない。
今まで天災でそこまで怖い思いをしたことなんて、一度も無いのにね。
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる、主人公がキキに導かれて迷い込むワイキキのダウンタウンにあるオフィスビルの一部屋。白い骨が何体も静かに存在している部屋。
あんな風に、自分の関係する「死の部屋」みたいなのが実はどこかにひっそりとある様な気がしてしまう。それは自分の無意識のレベル、という場所なのかもしれないけれど。
前の会社で一時福祉機器を輸入販売する仕事を少々していて、アメリカの福祉機器製造・販売メーカーの人達と話をする機会があったのだけれど。
彼らはずっと車椅子をデザインしたり製作したりする仕事をしていて、自分達の製品を担いで全米の福祉関連の展示会を回っている。
彼らにとってはそういう会場で、先天性なり後天性なりのハンデを負った人々と話をして製品を買って貰うのが日常であるわけで。
「○○(←私の名前)、人々は自分が健康で五体満足で生きていられるということをあまりにも当たり前で感謝せずに生きているけれど、それは本当は実に幸運だっただけであって、とても壊れやすい - fragile- ものであるということをもっと認識すべきだと僕は思うんだよ。」
と、いつもいつも言っていた。
実際にこういう福祉関連の展示会というものには、本当に様々な障害をもった人達が情報を求めてやってくる。
「そうだよね。私もいつもそう思っているよ。」
私は交通事故で病院を数度移ったのだけれど、最後に入院していた病院はいわゆる「三次救急」の病院だったので、ありとあらゆる重症患者が搬送されてくる病院だった。
隣のベッドに癌の末期患者が寝ていたこともあったし、右手と左足を途中から切断された女性もいた。顔中に火傷を負った若い女の子もいた。バイクの事故で下半身付随になってしまった19歳の男の子もいた。パンやのバイトで右手の親指を切り落としたと高校生が運び込まれたのも見た(←無事くっついたけど)。
もちろん亡くなる人も(多分たくさん)いた。「今からロビーには出ないように」というアナウンスがあった時は、誰かが無くなってエレベータで地下の霊安室に運ぶ時だった。
丁度同じ時期に大学を休学していた級友は悪性の腫瘍で、私が卒業する頃にまでには亡くなってしまった。
二十歳やそこらの頃に「これでもか」という位に、濃厚な死の影を見せられれば、やっぱり心のどこかにそれは染み付いてしまう。
死や怪我あるいは病気、と言ったものたちは私の無意識のどこかにとてもしっかりと住み着いているのだろう。
まぁ、それでもやっぱり、「猫どものフードと水だけは確保しておいてやらないとなぁ。人間と違って我慢しろと言うわけにはいかないし。」と思ってみたり、「火事が起きたいやだなぁ。猫、どうしよう。」と思ってみたり。
もちろん自分の身の上も含め、日々安泰でいて欲しいなと思って暮らしているわけですが。
みなさん、本当に。死んじゃう時は死んじゃうんですよ。ころっと。あるいは本望ではなくても苦しんだりしながら。
楽しいことしておきましょう、生きているうちに。
確かに、怖いよね。自分の住んでいる地域に大きな地震が来て、自分達にどれだけの被害がいつ降りかかるか、なんてこと誰にも解らないことだもの。
私は二十歳の時に一度交通事故で死にゾコナっているので、「生と死の分かれ目」なんてほんの些細な差なだけであって、自分の人生のすぐ横には常に「死の影」が存在しているものなんだ、という気がいつもしてしまう。
だから、地震だって台風だって飛行機事故だって、来る時は来てしまうものなんだよ。そうして、自分がもしかしたら死んでしまうことだって有り得るんだよ、と結構実感を伴って思っているかもしれない。
今まで天災でそこまで怖い思いをしたことなんて、一度も無いのにね。
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる、主人公がキキに導かれて迷い込むワイキキのダウンタウンにあるオフィスビルの一部屋。白い骨が何体も静かに存在している部屋。
あんな風に、自分の関係する「死の部屋」みたいなのが実はどこかにひっそりとある様な気がしてしまう。それは自分の無意識のレベル、という場所なのかもしれないけれど。
前の会社で一時福祉機器を輸入販売する仕事を少々していて、アメリカの福祉機器製造・販売メーカーの人達と話をする機会があったのだけれど。
彼らはずっと車椅子をデザインしたり製作したりする仕事をしていて、自分達の製品を担いで全米の福祉関連の展示会を回っている。
彼らにとってはそういう会場で、先天性なり後天性なりのハンデを負った人々と話をして製品を買って貰うのが日常であるわけで。
「○○(←私の名前)、人々は自分が健康で五体満足で生きていられるということをあまりにも当たり前で感謝せずに生きているけれど、それは本当は実に幸運だっただけであって、とても壊れやすい - fragile- ものであるということをもっと認識すべきだと僕は思うんだよ。」
と、いつもいつも言っていた。
実際にこういう福祉関連の展示会というものには、本当に様々な障害をもった人達が情報を求めてやってくる。
「そうだよね。私もいつもそう思っているよ。」
私は交通事故で病院を数度移ったのだけれど、最後に入院していた病院はいわゆる「三次救急」の病院だったので、ありとあらゆる重症患者が搬送されてくる病院だった。
隣のベッドに癌の末期患者が寝ていたこともあったし、右手と左足を途中から切断された女性もいた。顔中に火傷を負った若い女の子もいた。バイクの事故で下半身付随になってしまった19歳の男の子もいた。パンやのバイトで右手の親指を切り落としたと高校生が運び込まれたのも見た(←無事くっついたけど)。
もちろん亡くなる人も(多分たくさん)いた。「今からロビーには出ないように」というアナウンスがあった時は、誰かが無くなってエレベータで地下の霊安室に運ぶ時だった。
丁度同じ時期に大学を休学していた級友は悪性の腫瘍で、私が卒業する頃にまでには亡くなってしまった。
二十歳やそこらの頃に「これでもか」という位に、濃厚な死の影を見せられれば、やっぱり心のどこかにそれは染み付いてしまう。
死や怪我あるいは病気、と言ったものたちは私の無意識のどこかにとてもしっかりと住み着いているのだろう。
まぁ、それでもやっぱり、「猫どものフードと水だけは確保しておいてやらないとなぁ。人間と違って我慢しろと言うわけにはいかないし。」と思ってみたり、「火事が起きたいやだなぁ。猫、どうしよう。」と思ってみたり。
もちろん自分の身の上も含め、日々安泰でいて欲しいなと思って暮らしているわけですが。
みなさん、本当に。死んじゃう時は死んじゃうんですよ。ころっと。あるいは本望ではなくても苦しんだりしながら。
楽しいことしておきましょう、生きているうちに。
考えずにはいられないんだけれどね。ちょっとスローダウン。
2004年9月6日 ヲトナ道今月は色々な理由からあまりライブを見に行かれない「ライブ離れ」の月になりそう。
今予定しているのも、soil & "pimp" sessions のソロライブ1本だけだし・・。
何となく、ライブハウスでのジャズ系のリーダーライブなどには少々飽きてきている、というのもある。
でもね、それとは別に、「今は走りつづける時なんだ」と、疲れても、息が切れても、足が重くても、とにかく走ってみようと思ってやり過ごしたこの前の冬を終えて。
この秋は少々スローダウンして、考える時期なのかもしれない。
走り続ける時があれば、ちょっと立ち止まって考える時もあるはずだよね。
どう生きてゆけば良いのか考えずにいられない、という点は変わらないのだけれど。
また、こうやって今をやり過ごせば、何かが見えるのかどうかは解らない。そんな自信もないけれど。
でも、歩いてゆくしかないからねぇ。
ちょっと立ち止まって、深呼吸、、、です。
今予定しているのも、soil & "pimp" sessions のソロライブ1本だけだし・・。
何となく、ライブハウスでのジャズ系のリーダーライブなどには少々飽きてきている、というのもある。
でもね、それとは別に、「今は走りつづける時なんだ」と、疲れても、息が切れても、足が重くても、とにかく走ってみようと思ってやり過ごしたこの前の冬を終えて。
この秋は少々スローダウンして、考える時期なのかもしれない。
走り続ける時があれば、ちょっと立ち止まって考える時もあるはずだよね。
どう生きてゆけば良いのか考えずにいられない、という点は変わらないのだけれど。
また、こうやって今をやり過ごせば、何かが見えるのかどうかは解らない。そんな自信もないけれど。
でも、歩いてゆくしかないからねぇ。
ちょっと立ち止まって、深呼吸、、、です。
Meaning of Life
2004年6月24日 ヲトナ道I’ve been thinking about what the meaning of life to me is.
Somebody says it is to improve yourself (maybe to finish up somthing left over from your former life). Other says that it is to finish up your homework which you didn’t finish in your former life.
I could understand what they tried to explain to me in their contexts, but it didn’t fit perfectly into what I have been looking for.
Today, I set my meaning of life as to have a good time and have fun, needless to say, with people I love or care about, and, more importantly, by and for myself.
It is a very good feeling to come up to this stage which I can talk about the meaning of my life for now,although it may change later on.
So,life should be nice. We should be keep going and carry on if we can and we have enough energy.
Hahaha.
Peace!
Somebody says it is to improve yourself (maybe to finish up somthing left over from your former life). Other says that it is to finish up your homework which you didn’t finish in your former life.
I could understand what they tried to explain to me in their contexts, but it didn’t fit perfectly into what I have been looking for.
Today, I set my meaning of life as to have a good time and have fun, needless to say, with people I love or care about, and, more importantly, by and for myself.
It is a very good feeling to come up to this stage which I can talk about the meaning of my life for now,although it may change later on.
So,life should be nice. We should be keep going and carry on if we can and we have enough energy.
Hahaha.
Peace!
いつもいつも私は「縁があった」とか「縁が無かった」って書いているけれど、やっぱり縁は不思議だと思うのだ。
逢った瞬間に違和感が無く、すっと溶け込める人。
最初の印象が悪かったのに、そんなことが嘘のように仲良くなってしまう人。
あんなに仲良かったのに、いつのまにか縁が切れてしまって逢わなくなってしまう人・・・・・
いろいろな出逢いとその後。
私には「魂の恋人」と呼んでいるゲイの友人と「魂の隣人」と呼んでいるノンケの友人(♂)がいる。
このふたりがいなかったら、生きていくのは今よりずっとしんどいと思う。
呼吸をするように、会話が出来る相手。
魂の隣人と時々言い合う。「最近人間の言葉を聴いていないからさ、逢おうよ。」
魂の恋人に私は言う。「年取ってからはさ、あなたと一緒に住んでいる気がするからそれは良いんだけど、今が問題なのよね。」
縁は不思議だ。
この間も、不思議な人にあった。いわば「人間の言葉」が通じる人。
良い磁場も悪い磁場も良い気も悪い気も、あれこれあれこれくぐり抜けて、時々そういう出逢いがある。
だから、何とかやっていける。
ありがとう。
何に対して感謝すれば良いのか実はよく解らないけれど。
でも私のところにそういう人たちを呼んでくれたり、結びつけてくれたものに・・・・。そういう力に。
感謝。
逢った瞬間に違和感が無く、すっと溶け込める人。
最初の印象が悪かったのに、そんなことが嘘のように仲良くなってしまう人。
あんなに仲良かったのに、いつのまにか縁が切れてしまって逢わなくなってしまう人・・・・・
いろいろな出逢いとその後。
私には「魂の恋人」と呼んでいるゲイの友人と「魂の隣人」と呼んでいるノンケの友人(♂)がいる。
このふたりがいなかったら、生きていくのは今よりずっとしんどいと思う。
呼吸をするように、会話が出来る相手。
魂の隣人と時々言い合う。「最近人間の言葉を聴いていないからさ、逢おうよ。」
魂の恋人に私は言う。「年取ってからはさ、あなたと一緒に住んでいる気がするからそれは良いんだけど、今が問題なのよね。」
縁は不思議だ。
この間も、不思議な人にあった。いわば「人間の言葉」が通じる人。
良い磁場も悪い磁場も良い気も悪い気も、あれこれあれこれくぐり抜けて、時々そういう出逢いがある。
だから、何とかやっていける。
ありがとう。
何に対して感謝すれば良いのか実はよく解らないけれど。
でも私のところにそういう人たちを呼んでくれたり、結びつけてくれたものに・・・・。そういう力に。
感謝。
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どこで「痛い!」って言えば良いのかなぁ。
2004年3月23日 ヲトナ道弱音を吐くのが下手です。
歯医者さんで、「痛かったら痛いって手を挙げてくださいねぇ」って言われたりしますよね。あれ、困る人多いのではないかな、といつも思います。
だって、いつ痛いって言って良いのか、どこまで我慢すべきなのか、解らくないですか?特に慎み深いのが美徳な日本では。
世の中が変わりつつあるとは言っても、まだまだ遠慮深い、忍耐深い人っているんじゃないかな。「あの人大げさよね」って、あまり言われたくない形容詞じゃないかな。
私個人としては、肉体的な痛みは色々と通過してきたせいか、早めに(仮に大げさだとしても)割りに言えるようになりました。
それでもその昔交通事故にあった時には、救急病院に担ぎ込まれ全身レントゲンだのあれこれ処置をされている最中に、右足の骨は粉と砕けひどい状態だったのに、一体いつ「痛い」と言って良いものやら解らなくて、我慢して・・・。
後程ウチの母が宿直のお医者さんに「随分気の強い娘さんですね。」と誉められたのだか、感心されたのだか、というエピソードがあります。
オトコだったら泣き叫んでいるはず、と言われたらしいです。
ははは。
でも、今はそんな肉体的な痛みはとても耐えられません。「痛いです。」とすぐ言います。
この間の形成外科の簡単な手術の後も、「多分1回飲めばあとは大丈夫だと思うけど」と、処方された鎮痛剤を4回分全部飲みました。
でもね、精神的な痛みには、どこで痛いって言って良いものやら今でも良く解りません。
愚痴はちょっと言えるけど、弱音が吐けない。
う〜〜〜〜〜ん、困ったものです。
最近、結構苦しいのに、どこでどうやって助けを求めて良いのかその術がよく解らないってことでしょうね。
婦人科の検診に定期的に通っています。大学病院なのでたくさん病人が来ていて、婦人科に限らずご夫婦でいらしている方が結構たくさんいます。
でも、私は一番不安な結果を聞きに行く時もひとりで行きました。
この間の外来手術も、もちろん一人で決めて一人で行きました。
帰り道に麻酔のせいか、ものすごく気分が悪くて、「うぁ、このままぶったおれたら、どうしよ〜〜〜。」と思いながら、とにかく電車で座って、そこでうとうと吐き気と眩暈をこらえて帰ってきました。
今更親に付き添ってもらう、ってな訳にはいかないしなぁ。。。と、思ってしまう自分がいます。
夫的な友人は、頼めば一緒に来てくれたと思うけれど、一緒に来て欲しいの、と言うことすら思いつかなかった。
どこで、「辛いです。」って言えば良いのか解らなくて、最近結構途方に暮れているかもしれません。
歯医者さんで、「痛かったら痛いって手を挙げてくださいねぇ」って言われたりしますよね。あれ、困る人多いのではないかな、といつも思います。
だって、いつ痛いって言って良いのか、どこまで我慢すべきなのか、解らくないですか?特に慎み深いのが美徳な日本では。
世の中が変わりつつあるとは言っても、まだまだ遠慮深い、忍耐深い人っているんじゃないかな。「あの人大げさよね」って、あまり言われたくない形容詞じゃないかな。
私個人としては、肉体的な痛みは色々と通過してきたせいか、早めに(仮に大げさだとしても)割りに言えるようになりました。
それでもその昔交通事故にあった時には、救急病院に担ぎ込まれ全身レントゲンだのあれこれ処置をされている最中に、右足の骨は粉と砕けひどい状態だったのに、一体いつ「痛い」と言って良いものやら解らなくて、我慢して・・・。
後程ウチの母が宿直のお医者さんに「随分気の強い娘さんですね。」と誉められたのだか、感心されたのだか、というエピソードがあります。
オトコだったら泣き叫んでいるはず、と言われたらしいです。
ははは。
でも、今はそんな肉体的な痛みはとても耐えられません。「痛いです。」とすぐ言います。
この間の形成外科の簡単な手術の後も、「多分1回飲めばあとは大丈夫だと思うけど」と、処方された鎮痛剤を4回分全部飲みました。
でもね、精神的な痛みには、どこで痛いって言って良いものやら今でも良く解りません。
愚痴はちょっと言えるけど、弱音が吐けない。
う〜〜〜〜〜ん、困ったものです。
最近、結構苦しいのに、どこでどうやって助けを求めて良いのかその術がよく解らないってことでしょうね。
婦人科の検診に定期的に通っています。大学病院なのでたくさん病人が来ていて、婦人科に限らずご夫婦でいらしている方が結構たくさんいます。
でも、私は一番不安な結果を聞きに行く時もひとりで行きました。
この間の外来手術も、もちろん一人で決めて一人で行きました。
帰り道に麻酔のせいか、ものすごく気分が悪くて、「うぁ、このままぶったおれたら、どうしよ〜〜〜。」と思いながら、とにかく電車で座って、そこでうとうと吐き気と眩暈をこらえて帰ってきました。
今更親に付き添ってもらう、ってな訳にはいかないしなぁ。。。と、思ってしまう自分がいます。
夫的な友人は、頼めば一緒に来てくれたと思うけれど、一緒に来て欲しいの、と言うことすら思いつかなかった。
どこで、「辛いです。」って言えば良いのか解らなくて、最近結構途方に暮れているかもしれません。
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オトナ道は、楽、じゃない。
2004年2月12日 ヲトナ道ここのところ、職場で関係がギクシャクしていた、年下の同僚が数通のかな〜〜り微妙なメールの通信の後、ついに折れてきた。
ふっふん。感情を抑えたオトナの勝利ってとこですかね。
でもね、こういうのは本当はキライ。仕事なんだから、そういう感情は絡ませないで欲しいよ、ほんまに。
ま、これで今後トラブルなしでちゃんと仕事が回れば、いいけどさ。でもさ、そこの君!あれこれ、マネージせなあかん、オトナの立場ってもん、解ってんのかなぁ。。解ってない、よねぇ。。。
偉そうに指図する方も(偉そうにしているつもりも、指図しているつもりも毛頭ないのだけれど、仮にそう見えたにしてもだ)それはそれで大変なのよ。目の前の仕事で「イッパイイッパイです、大変です、無理です」って言ってる間は、まだ解らんだろうけどさ・・・・。
っと、思いっきり仕事の愚痴と化してますね。いややわ〜〜。
楽しいことを考えよう。
明日は、金曜日だ。わ〜い。
明日は、実はお誕生日だ。わ〜い。
それでもって、友人と美味しいご飯を食べよう、と約束している。
わしのおごり、で。ははは。
ほんとうに、オトナ道は、なかなかに楽、じゃないよね。みなさん。
ふっふん。感情を抑えたオトナの勝利ってとこですかね。
でもね、こういうのは本当はキライ。仕事なんだから、そういう感情は絡ませないで欲しいよ、ほんまに。
ま、これで今後トラブルなしでちゃんと仕事が回れば、いいけどさ。でもさ、そこの君!あれこれ、マネージせなあかん、オトナの立場ってもん、解ってんのかなぁ。。解ってない、よねぇ。。。
偉そうに指図する方も(偉そうにしているつもりも、指図しているつもりも毛頭ないのだけれど、仮にそう見えたにしてもだ)それはそれで大変なのよ。目の前の仕事で「イッパイイッパイです、大変です、無理です」って言ってる間は、まだ解らんだろうけどさ・・・・。
っと、思いっきり仕事の愚痴と化してますね。いややわ〜〜。
楽しいことを考えよう。
明日は、金曜日だ。わ〜い。
明日は、実はお誕生日だ。わ〜い。
それでもって、友人と美味しいご飯を食べよう、と約束している。
わしのおごり、で。ははは。
ほんとうに、オトナ道は、なかなかに楽、じゃないよね。みなさん。
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(ちゃんとした,かな)中年女性であることは難しい・・
2004年2月11日 ヲトナ道今日は久々にのんびり,だらだらの休日.
怠け者の私は休日出勤なんぞが続くといっぺんでストレス過多になってしまう.自分のペースで自分の好きなことをできる時間がないと窒息しそうになるのだ.
先週はまさに息つく間もないとでも言うべき月曜〜日曜だったので,今日でやっと一息.日記も少々追記致しました.
ところで,先日の某バーでのライブの後で,久しぶりに自己嫌悪で凹む事を体験してしまった.ひ〜〜ん.
ライブが終わった後に,とにかくちょっとくつろぎたくて,飲み物をお代わりして呑んでいたのだけれど.
この日は仕事でホテルに泊まることになっていたので帰りの電車も気にしなくて良かったし.
電車がなくなるせいか,お客さんが段々いなくなってゆき,気がついたら客は私ひとりだった.
カウンターの横では,少し離れた席で演奏の終わったミュージシャン達も話しながら呑んだりしている.
その会話が漏れ聞こえては来るけれど,ひとりぼ〜〜〜っと(やっとスペースが広くなったし)酒を飲む.
私的には至福の時だ.
慌ただしい時間の後の,ぼけっと出来る時間.おいしいお酒.
こうなるとねぇ......根が酒飲みなので,ついもう少し呑みたくなっちゃうんだよねぇ......
幸い,と言うべきか,横で呑んでいるミュージシャン(達)もしゃべりながら呑んでいるし,とお代わりを貰って呑んでいた.
段々酒が回ってきた頭は自制心が緩む.
気がついた時にはミュージシャンの一人と私が昔行った吉田美奈子のライブの話なんぞをしていた.それも,彼らが吉田美奈子のことを話していたのを聞きつけたから..そうして,今日のライブは彼の演奏を楽しみにして来たんだ,なぞということも,(多分)かなりぺらぺらと話していた.
あ〜〜〜〜.やっっっっちったぁぁぁぁぁ.
お店の人がそろそろ店をしまいます,と言ったのでお勘定をして,お休みなさいを言って,店を出て,タクシーに乗った瞬間に自己嫌悪の波が押し寄せてきた.
ひ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん.
考えてみたらさ,ミュージシャンの人たちだって演奏が終わって,彼らがくつろぎたかっただろうになぁ.
別に私は,彼らとどうこうしたい,とかそんな気持ちはこれっぽっちもなく,ただただ忙しい一週間の後で,ぼけっとお酒を呑みたかっただけなんだけどさ.
そりゃぁ,演奏が良かったら,かっこよかったですよ,とか話が出来たらそれはそれで嬉しいことだけれど.
でも,オタファンみたく鬱陶しかったかもなぁぁぁ,と思ってしまう.
あ〜〜〜〜,こういうのは凹みます.
自意識過剰,と言われればそれまでかもしれないけれど.自分がオトコだったら,話は簡単だ.そういうシチュエーションに邪念が入る隙間が少ない.ただ酒を飲む人としてのエチケットがちゃんとしているかどうか,だけで話が済む.
でもオンナであると,物欲しそうじゃなかったかな,だの何だのと,邪念が入り込む隙間がある.そうは思われたくないな,ってカッコつけている自分もいるんだろうな.
仕事で出張もするし,ひとりでご飯も食べるし,お酒も飲みにゆく.シャンとしていたいな,という思いは常にある.
若ければ「可愛い」で済むことが,中年になるとそうはいかない.
はぁぁ,中年のオンナであるのは意外に難しいっす.オトナ道は時に険しい.
怠け者の私は休日出勤なんぞが続くといっぺんでストレス過多になってしまう.自分のペースで自分の好きなことをできる時間がないと窒息しそうになるのだ.
先週はまさに息つく間もないとでも言うべき月曜〜日曜だったので,今日でやっと一息.日記も少々追記致しました.
ところで,先日の某バーでのライブの後で,久しぶりに自己嫌悪で凹む事を体験してしまった.ひ〜〜ん.
ライブが終わった後に,とにかくちょっとくつろぎたくて,飲み物をお代わりして呑んでいたのだけれど.
この日は仕事でホテルに泊まることになっていたので帰りの電車も気にしなくて良かったし.
電車がなくなるせいか,お客さんが段々いなくなってゆき,気がついたら客は私ひとりだった.
カウンターの横では,少し離れた席で演奏の終わったミュージシャン達も話しながら呑んだりしている.
その会話が漏れ聞こえては来るけれど,ひとりぼ〜〜〜っと(やっとスペースが広くなったし)酒を飲む.
私的には至福の時だ.
慌ただしい時間の後の,ぼけっと出来る時間.おいしいお酒.
こうなるとねぇ......根が酒飲みなので,ついもう少し呑みたくなっちゃうんだよねぇ......
幸い,と言うべきか,横で呑んでいるミュージシャン(達)もしゃべりながら呑んでいるし,とお代わりを貰って呑んでいた.
段々酒が回ってきた頭は自制心が緩む.
気がついた時にはミュージシャンの一人と私が昔行った吉田美奈子のライブの話なんぞをしていた.それも,彼らが吉田美奈子のことを話していたのを聞きつけたから..そうして,今日のライブは彼の演奏を楽しみにして来たんだ,なぞということも,(多分)かなりぺらぺらと話していた.
あ〜〜〜〜.やっっっっちったぁぁぁぁぁ.
お店の人がそろそろ店をしまいます,と言ったのでお勘定をして,お休みなさいを言って,店を出て,タクシーに乗った瞬間に自己嫌悪の波が押し寄せてきた.
ひ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん.
考えてみたらさ,ミュージシャンの人たちだって演奏が終わって,彼らがくつろぎたかっただろうになぁ.
別に私は,彼らとどうこうしたい,とかそんな気持ちはこれっぽっちもなく,ただただ忙しい一週間の後で,ぼけっとお酒を呑みたかっただけなんだけどさ.
そりゃぁ,演奏が良かったら,かっこよかったですよ,とか話が出来たらそれはそれで嬉しいことだけれど.
でも,オタファンみたく鬱陶しかったかもなぁぁぁ,と思ってしまう.
あ〜〜〜〜,こういうのは凹みます.
自意識過剰,と言われればそれまでかもしれないけれど.自分がオトコだったら,話は簡単だ.そういうシチュエーションに邪念が入る隙間が少ない.ただ酒を飲む人としてのエチケットがちゃんとしているかどうか,だけで話が済む.
でもオンナであると,物欲しそうじゃなかったかな,だの何だのと,邪念が入り込む隙間がある.そうは思われたくないな,ってカッコつけている自分もいるんだろうな.
仕事で出張もするし,ひとりでご飯も食べるし,お酒も飲みにゆく.シャンとしていたいな,という思いは常にある.
若ければ「可愛い」で済むことが,中年になるとそうはいかない.
はぁぁ,中年のオンナであるのは意外に難しいっす.オトナ道は時に険しい.
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