私の父は3年前の夏に胆管癌が見つかって、ほぼ1年後の6月末に亡くなった。
癌と診断された当時に既にかなりの高齢だったこともあり、積極的な治療はせずに、基本「無治療」で。対症療法は都度考えようというようなことになったんだった。
診断された時に、既に癌で胆管が詰まってしまっていたので、最初プラスティックのステントを入れて、それも後日詰まったので、金属のステントを入れた。結局治療はそれだけだった。
確か7月に見つかって、翌年の3月までほぼ普通に暮らしていた。自分で自転車で必要なものは買い出しに行っていたし、ご飯もよく食べ、晩酌もしていた。
毎月通院に付き添って行ったけれど、特に変わりなしですねーと。
4月におそらく癌がグッと大きくなり、また胆管が詰まったようだったが。
もう何もできることはなく。
そこで自転車をやめた。
それで、リハビリにいけなくなったのでこの頃からぐっと足腰が弱り、認知症も進み出した。
母からしょっちゅう愚痴の電話がかかってきたのはこの頃だったな。
履くタイプのおむつを導入したり、介護ベッドやウォーカーをレンタルしたり。
介護保険を申請したり。
そして、5月の末くらいに、ちょっと具合が悪いと言い、6月の頭に自分から入院。
3週間ほどの入院期間に、ほとんど食事は取れず、誤嚥性肺炎を防ぐために水分も制限され(冷たい水や麦茶が好きな人だったので、水分の制限は可哀想だった)。
痛みや気持ち悪さがあったらそれだけは処置して欲しいと思っていたけれど、それらもほとんどない「模様」だった。もちろん、ほんとのところはわからない。
そして、少しずつ静かに眠る時間が増え、静かに亡くなった。
モルヒネ等の麻薬の痛み止めも、結局一度も使わなかった。
やったことは、水分の点滴だけだった。
一部の、ごく限られた人だけかもしれないけれど。
高齢の癌患者はこんなにも安らかに逝けるんだなぁ・・・・・と、ちょっと驚くほど。
介護保険の結果が出る前に亡くなったくらいだった。
自分の父親ながら、徳が高いタイプだったとも思えないけれど(苦笑)。
かなり最後まで晩酌して、好きなように暮らして。
年金もたっぷり貰って(くっそーw)。
本人はどう思っていたかわからないけれど、かなり理想的な逝き方だったよなぁー。
主治医もそう言ってたなぁ。
それももう2年半前。
その後自分が病気したりしていたので、あんまり思い出してあげてなかったけど。
この間夢に出てきて、飄々としていた(苦笑)。一応、会いにきたのかなぁっと、目覚めた時に思ったけど。
自分の産みの母親が早くに亡くなってしまい、せめて同じ墓に入りたいという希望の通りに。
自分の両親と同じ墓で眠っている。
もう生まれ変わったりしたんだろうか。
それとも、同じ墓で安らかに眠ってるんだろうか。
(父の家系の宗派では、骨壺に入れず直接骨を埋葬するので、文字通り同じ墓で眠っている)
そう思うと、この2年半はあっという間だったような、長かったような。
不思議な縮尺な時間な気がする。
いずれにしても、ほとんど苦しまずに逝けたのは、ラッキーだったね。パパ。
今生きてて、コロナに感染したりしちゃったら、苦しい思いをしたりしたかもしれなかったよ。
父の癌も悪性ではあったらしいのだけれど。
高齢者の癌は往々にしてゆるやかに進行する、という通説通りの進行だった。
癌が見つかって、でも普通の生活ができていた半年以上の間。
本当はどんなことを思っていたんだろうね。
本音を話し合ったりする仲でもなく。
仲が悪いわけではないけど、すごく良いほどでもなかったので。
こうやって時々思い出すだけだけれど。
癌と診断された当時に既にかなりの高齢だったこともあり、積極的な治療はせずに、基本「無治療」で。対症療法は都度考えようというようなことになったんだった。
診断された時に、既に癌で胆管が詰まってしまっていたので、最初プラスティックのステントを入れて、それも後日詰まったので、金属のステントを入れた。結局治療はそれだけだった。
確か7月に見つかって、翌年の3月までほぼ普通に暮らしていた。自分で自転車で必要なものは買い出しに行っていたし、ご飯もよく食べ、晩酌もしていた。
毎月通院に付き添って行ったけれど、特に変わりなしですねーと。
4月におそらく癌がグッと大きくなり、また胆管が詰まったようだったが。
もう何もできることはなく。
そこで自転車をやめた。
それで、リハビリにいけなくなったのでこの頃からぐっと足腰が弱り、認知症も進み出した。
母からしょっちゅう愚痴の電話がかかってきたのはこの頃だったな。
履くタイプのおむつを導入したり、介護ベッドやウォーカーをレンタルしたり。
介護保険を申請したり。
そして、5月の末くらいに、ちょっと具合が悪いと言い、6月の頭に自分から入院。
3週間ほどの入院期間に、ほとんど食事は取れず、誤嚥性肺炎を防ぐために水分も制限され(冷たい水や麦茶が好きな人だったので、水分の制限は可哀想だった)。
痛みや気持ち悪さがあったらそれだけは処置して欲しいと思っていたけれど、それらもほとんどない「模様」だった。もちろん、ほんとのところはわからない。
そして、少しずつ静かに眠る時間が増え、静かに亡くなった。
モルヒネ等の麻薬の痛み止めも、結局一度も使わなかった。
やったことは、水分の点滴だけだった。
一部の、ごく限られた人だけかもしれないけれど。
高齢の癌患者はこんなにも安らかに逝けるんだなぁ・・・・・と、ちょっと驚くほど。
介護保険の結果が出る前に亡くなったくらいだった。
自分の父親ながら、徳が高いタイプだったとも思えないけれど(苦笑)。
かなり最後まで晩酌して、好きなように暮らして。
年金もたっぷり貰って(くっそーw)。
本人はどう思っていたかわからないけれど、かなり理想的な逝き方だったよなぁー。
主治医もそう言ってたなぁ。
それももう2年半前。
その後自分が病気したりしていたので、あんまり思い出してあげてなかったけど。
この間夢に出てきて、飄々としていた(苦笑)。一応、会いにきたのかなぁっと、目覚めた時に思ったけど。
自分の産みの母親が早くに亡くなってしまい、せめて同じ墓に入りたいという希望の通りに。
自分の両親と同じ墓で眠っている。
もう生まれ変わったりしたんだろうか。
それとも、同じ墓で安らかに眠ってるんだろうか。
(父の家系の宗派では、骨壺に入れず直接骨を埋葬するので、文字通り同じ墓で眠っている)
そう思うと、この2年半はあっという間だったような、長かったような。
不思議な縮尺な時間な気がする。
いずれにしても、ほとんど苦しまずに逝けたのは、ラッキーだったね。パパ。
今生きてて、コロナに感染したりしちゃったら、苦しい思いをしたりしたかもしれなかったよ。
父の癌も悪性ではあったらしいのだけれど。
高齢者の癌は往々にしてゆるやかに進行する、という通説通りの進行だった。
癌が見つかって、でも普通の生活ができていた半年以上の間。
本当はどんなことを思っていたんだろうね。
本音を話し合ったりする仲でもなく。
仲が悪いわけではないけど、すごく良いほどでもなかったので。
こうやって時々思い出すだけだけれど。
コメント
素晴しいですね 僕も こんな様子で 死んで行きたいと 思います
そうなんです〜。本当にあんな風に逝けたら良いよなぁと私も思います。
「特に人徳があるわけでもないと思うのに」というのがポイントです(自分の父親のことなのにひどい〜笑)。
> 本当にあんな風に逝けたら良いよなぁと私も思います。
そう思われるような亡くなり方が残された家族にとって一番説得力がある気がします。
きっと 隠れた 人徳が 有ったのでは ないですか お父様は
本当にお疲れ様でした。夜の介護は本当に大変そうで、hanaさんのお体が心配と思っておりました。
高齢者のガンだからと言って、必ずしも痛みがないとか苦しまないというわけではないので、そのような時期が短いということは、本人にとっても家族にとっても救いですよね。
しかし、コロナ禍の死というのは、色々な意味で特別な形になりますね。本当に本当にお疲れ様でした。
ふふ。そうですね。本当は隠れた徳があったのかも。
徳を積めば誰でも安らかに逝けるわけでもないでしょうが。
思い出してあげることが供養かな、とも思いますね。なかなか遠くて墓参りにも行かれませんが。