『東京を生きる』
雨宮 まみ (著)

雨宮まみは亡くなる前に、ウエブ媒体でのものは結構注目していて。例えば:

雨宮まみの"穴の底でお待ちしています”
https://cocoloni.jp/culture/29443/

雨宮まみ「運命のもの、どこで買えますか?」
https://srdk.rakuten.jp/archive/category/%E9%9B%A8%E5%AE%AE%E3%81%BE%E3%81%BF%E3%80%8C%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE%E3%80%81%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%A7%E8%B2%B7%E3%81%88%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%8D

とかを楽しみに読んでいた。

"雨宮まみ氏と北条かや氏のこじらせ女子騒動"なんかも、注視していた。


なので、"事故"で急死された時は、本当に残念に思ったし、もっともっと彼女がどんな風に様々な事象やおしゃれなものや悩みについて書いてくれるのか読みたかった。

というのも、2016年11月。3年前かぁ。



私自身がこの1年間アップダウンのジェットコースターに乗ってる様な日々だったので、少々失念しておりましたが。

で、美藤さんがレビューされているのをみて、あーそうだ読まなきゃって思ってたんだった、とポチりました。


帯にこんな風に書かれていた。
「東京」に発情している。
そんな獣の遠吠えをきいているようで、胸が締めつけられる。
身に覚えがありすぎて恥ずかしい。
でも、美しい。穂村弘


あー、確かに。

こんな"ヒリヒリとした渇望"に触れたのはいつぶりだろうかと、思った。


東京出身者 vs 地方出身者
内部からの上がってきた内部出身学生 vs 受験で入ってきた外部学生

みたいな、格差と呼ぶのはおかしいけれど、外部のものがひけ目に思う何かというのは確かにあって。

私は横浜出身だから、それを少し回避する大いなる田舎な都会住まいってことになって。

東京は行きたければすぐに行けるし、別に強い憧憬もないし。
でも、やっぱりお金さえあればなんでも手に入るすごい街だという認識はあって。


若い頃には見えなかったけれど、随分と長いこと仕事をしている今になると。
例えば会食や打ち合わせで、東京の名だたる割烹・グランメゾン・ホテルのロビーを利用する。

そこで見るものは、日本人・外国人を問わず富裕層や、エグゼクティブ層とその配偶者たちで、例えば疎い私ですら知っている30万以上する小さなバッグをさっと身に付け、高価な価格で提供されるそのサーヴィスを当たり前の様に消費する人々。



"身の丈" とか "分相応" ということを、よく私もここで書いているけれど。
今の私より随分と若かった彼女が "身の丈" なんて考えずに突っ走って振り回されてしまいたい、という欲望はわかる気がする。



例えば、『ダーク』や『グロテスク』で桐野夏生が女を生々しく描いたように。

(本人も六本木に関して触れていたけれど)森瑤子が恋する中年をヴィヴィッドに描いた様に(ところで森瑤子も52歳で亡くなってるのね。若かったなぁ。なんか久しぶりに森瑤子のエッセーを読みたくなった。持ってたはずだけど、箱の中かしらね)。


もっともっと彼女の作品を読みたかったなぁと、再度思う。

本当に残念だ。

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