書籍は基本的に翻訳ミステリが好きで、同じ本を読んだ仲良したちと食事会をしたりするのですが。
結構な高率で、クリスティーやホームズを「子供の頃に親の本棚から借りて読んでた」という体験を持ってる人がいる。これが実に羨ましいのだな。今となってはないものねだりなのでどうしようもないのだけれど。
私の父は退職後、図書館に通っては(私のカードまで使って)許容量ギリギリまで本を借りてきて読んでいたような人だったのに、私が子供の頃に父の本棚というのは無かったと思う。生まれが貧しかったためか、吝嗇といってよいほどな感覚の持ち主だったので(つまりケチだった)本を買うのが嫌だったんだろうか。もう亡くなってしまったし、謎のままだけれど。
母は雑誌は読むけれど、「本」は読まない人だったと思う。今も元気だけれど、雑誌以外を読んでいる姿はほとんど見た記憶はない。
姉が1人いるのだけれど、彼女は漫画しか読んでいなかった、と思う。なので少女漫画は彼女が買っていたのを読めた恩恵はあったなぁ。でも漫画だけ。
前職の上司が雑誌しか読まない人だったので、海外出張などで一緒に移動するときにくだらない(と当時思っていた)雑誌を開いているのがすごく嫌だったのを今思い出した。
音楽もそう。時代的にフルセットみたいなステレオがあったのに、両親ともに音楽も特に好む生活を送ってはいなかった。家には子供のためのクラシック入門全集みたいなLPしかなかった(今思えばなんで買ったんだ??)。
これまた晩年の父は正月などにNHKのウィーン・フィルの中継などを好んでいたようだけれど、私の記憶する父にはそんな片鱗もなかった。
家に充実した本棚があって、そこから盗むように読んでいた。とか、いつも音楽がかかっていて、知らず知らずに両親の影響で古い曲を好きになった、とか。
そういう人に会うと、心の底から羨ましいなぁと思う。本当に思う。
小学生の高学年くらいからラジオを聴いたり、中学生になるとお小遣いためてアルバム買って貸し借りしたり。高校生では軽音楽部に入っていたので、それこそ音楽の話ばかりしていた。誰かの新譜が出ると誰かが買うから順番に回して聴いた。
その後、ジャズは Disc Union に行って視聴しては無手勝流で聴いていった。
本は本屋のミステリコーナーで試し読みしては、好きな作家を探していった。
本も音楽も時々誰かのオススメを試してみるくらいで、自分で切り開いてきたって感覚がある。
ずっとずっと、本好きで音楽好きの人としか、恋愛はできないと思っていた(われながら若いわぁ)。
SF読みとか、ミステリ読み、とかファンタジー読みとか。
私はなんだかそういう道を辿ってこずにあちこち手を出しているうちに翻訳ミステリに辿りついた、って感じで。王道古典を読んでいなかったり、する。自分のことをミステリ読みなんて名乗るのはおこがましいとすら思っている。
クリスティは今でこそそこそこ読んでいるけれど、友人に手ほどきされて読むまで、多分2〜3作しか読んでいなかったと思う。
ホームズやエラリー・クィーンなどに至っては未だ読んでいない。
音楽もそう。それなりにあれこれ聴いてきたとは思うけれど。
クラシックは全く詳しくないし、ロックやジャズの王道など、スポっと抜けているフィールドがたくさんある。
子供は持たなかったので、それなりに充実した本棚や音楽が鳴る環境を誰かにあげることもできなかった。
もう限りある命の残りを考えたりすることがあるのに、音楽好きなお姉ちゃんやお兄ちゃんがいて音楽のこと教えてくれたらよかったなぁ、とか。両親の本棚から本を盗んで読みたかった、なんてことを、今でも考えたりするのだから。ないものねだりは恐ろしい。
あまり人に対して羨ましいという感情を抱かない方だと思うけれど、この2つだけは今でも心底羨ましいと思う。多分、ずっとそうだと思う。
結構な高率で、クリスティーやホームズを「子供の頃に親の本棚から借りて読んでた」という体験を持ってる人がいる。これが実に羨ましいのだな。今となってはないものねだりなのでどうしようもないのだけれど。
私の父は退職後、図書館に通っては(私のカードまで使って)許容量ギリギリまで本を借りてきて読んでいたような人だったのに、私が子供の頃に父の本棚というのは無かったと思う。生まれが貧しかったためか、吝嗇といってよいほどな感覚の持ち主だったので(つまりケチだった)本を買うのが嫌だったんだろうか。もう亡くなってしまったし、謎のままだけれど。
母は雑誌は読むけれど、「本」は読まない人だったと思う。今も元気だけれど、雑誌以外を読んでいる姿はほとんど見た記憶はない。
姉が1人いるのだけれど、彼女は漫画しか読んでいなかった、と思う。なので少女漫画は彼女が買っていたのを読めた恩恵はあったなぁ。でも漫画だけ。
前職の上司が雑誌しか読まない人だったので、海外出張などで一緒に移動するときにくだらない(と当時思っていた)雑誌を開いているのがすごく嫌だったのを今思い出した。
音楽もそう。時代的にフルセットみたいなステレオがあったのに、両親ともに音楽も特に好む生活を送ってはいなかった。家には子供のためのクラシック入門全集みたいなLPしかなかった(今思えばなんで買ったんだ??)。
これまた晩年の父は正月などにNHKのウィーン・フィルの中継などを好んでいたようだけれど、私の記憶する父にはそんな片鱗もなかった。
家に充実した本棚があって、そこから盗むように読んでいた。とか、いつも音楽がかかっていて、知らず知らずに両親の影響で古い曲を好きになった、とか。
そういう人に会うと、心の底から羨ましいなぁと思う。本当に思う。
小学生の高学年くらいからラジオを聴いたり、中学生になるとお小遣いためてアルバム買って貸し借りしたり。高校生では軽音楽部に入っていたので、それこそ音楽の話ばかりしていた。誰かの新譜が出ると誰かが買うから順番に回して聴いた。
その後、ジャズは Disc Union に行って視聴しては無手勝流で聴いていった。
本は本屋のミステリコーナーで試し読みしては、好きな作家を探していった。
本も音楽も時々誰かのオススメを試してみるくらいで、自分で切り開いてきたって感覚がある。
ずっとずっと、本好きで音楽好きの人としか、恋愛はできないと思っていた(われながら若いわぁ)。
SF読みとか、ミステリ読み、とかファンタジー読みとか。
私はなんだかそういう道を辿ってこずにあちこち手を出しているうちに翻訳ミステリに辿りついた、って感じで。王道古典を読んでいなかったり、する。自分のことをミステリ読みなんて名乗るのはおこがましいとすら思っている。
クリスティは今でこそそこそこ読んでいるけれど、友人に手ほどきされて読むまで、多分2〜3作しか読んでいなかったと思う。
ホームズやエラリー・クィーンなどに至っては未だ読んでいない。
音楽もそう。それなりにあれこれ聴いてきたとは思うけれど。
クラシックは全く詳しくないし、ロックやジャズの王道など、スポっと抜けているフィールドがたくさんある。
子供は持たなかったので、それなりに充実した本棚や音楽が鳴る環境を誰かにあげることもできなかった。
もう限りある命の残りを考えたりすることがあるのに、音楽好きなお姉ちゃんやお兄ちゃんがいて音楽のこと教えてくれたらよかったなぁ、とか。両親の本棚から本を盗んで読みたかった、なんてことを、今でも考えたりするのだから。ないものねだりは恐ろしい。
あまり人に対して羨ましいという感情を抱かない方だと思うけれど、この2つだけは今でも心底羨ましいと思う。多分、ずっとそうだと思う。
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