2018年大晦日

2018年12月31日 ヲトナ道
今年を振り返って大きなトピックはもうこれしかないでしょ、という2つ。

父の胆管がんが進行してそれに伴い認知症がどんどん進んで、黄疸が出てあっという間に6月に亡くなったこと。
そして8月に私に病が降ってきたこと。

性格的に日記を毎日つけることは出来ないんだけれど、ぼちぼちと綴っておいたことは後で読み返すとなかなか興味深くて。だからここもぼちぼち地味に続いているのだけれど。

10月、11月あたりは先が見えなくて、日常生活への復帰も復職も不安しかなかったけれど。「日にち薬」とはよく言ったもので、ようやく最近は日常のことは随分出来る様になってきた。

まだフルタイムへの復職には届かないけれど、来年暖かくなる頃までには何とかなりそうな気がしてきた。

そして、そして「人って忘れるから生きていけるんだな」って思ったこともその通りで。今でも手術痕は痛むけれど、手術直後の辛くて大変だったことなんかはもうほとんど思い出さない。交通事故にあって大変だったことなんかも全然思い出さないもんなぁ。

不思議と、病人から日常生活へのリハビリ的な生活に移っていく中で、妙に本が読めなくなって。いつも読んでいる翻訳ミステリの生々しいのはご無沙汰中。アガサ・クリスティだけ何冊も読み返している。

掃除は体力不足と痛みから出来ないのでルームメイトに発注してるし、料理も簡単なことしかしてない/出来ないけれど。

病発覚から4ヶ月。「病人でいた」2ヶ月と同じくらいの時間を家で療養しながら過ごして、ようやく自分の家/部屋にいる感覚が戻ってきた気がしているこの頃。

彷徨っていた魂がやっと体に追いついて戻ってきたみたいな感じ。そっか。なんか空っぽみたいな自分で病院にはいたのか。

(乖離みたいなことなんでしょうけれど)

ちょっと取り憑かれた様に通販で買い物してみたり。
積ん読本買い漁ったり。
猫のフードとか、普段以上に消耗品のストック買ってみたり。


こういうのも揺り戻しみたいなものなんだろうなぁと、今なら分かる。

人の手にある生活じゃなくて、自分の手にある生活を取り戻そうとしてたんだよなぁ、と。

そういえば、(生命)保険には助けられた。
もう何年も前に入っていた医療特約と、健康保険の限度額の制度。
そして、先日ようやく難病の申請がおりた。3割負担から2割負担に変わるとのこと。
(しかし、難病って毎年更新なのね。多分一生付き合う病気だろうから、これを毎年やるのかーと既にめんどくさいんですけどね。既払い分の申請は年が明けてからだわ)

くっきりと90℃曲がり角を曲がった様に、様が変わった今年でしたが。
もっと悪いことだって起こり得たのだから。

さて、2019年はどんな年になるのやら。
どんな年にするのやら。

みなさま、良いお年をお迎えください。
私も来年は良い年にしたいなと心から思います。

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