著名人や身近な人が亡くなると、「あっちで待っていてくれる」とか「〇〇と▲▲と今頃愉しく飲んでるに違いない」という様な感想はよく目にすると思う。

勇気を持って告白するならば(笑)、私は実はこれが、あんまりぴんとこなくて。どちらかというと、少し違和感すらある。


『あの世で待ってる』って言うのは、『極楽浄土』で待ってる、って意味合いなんですよね?きっと。


私は『輪廻転生』は凄くしっくりとくるんだけど・・・。
自分自身が『極楽浄土』に行ける感覚を持ってないのかしらん。


ちょこっとググると『輪廻転生という考え方は実は仏教においては「苦」です。極楽浄土に行くためには輪廻から解脱しなければなりません』とか。


亡くなったにゃー達には「生まれ変わっておいでね」と、ついつい、思ったし。

自分自身が死んだら、転生はするかもしれないと思うけど、大切に思っていた--例えば祖母と--また逢えるみたいな感じがしないんだよなー。

なんでかしらね。

コメント

浜乙女(箱推し)
2015年12月10日18:42

はにゃさんにまだまだ未来があるからだと思いますよ。
平均寿命の2/3が終わってやっとなんかいわゆる”あの世”を肯定できるようになりました。
宗教的とはちょっと違って自分の終をなんとなく想像してしまうからですかね。

はにゃ。
2015年12月10日18:48

>浜乙女さま
Welcome back!!! :-)
おかえりなさいませ。あんど、ご無沙汰でございます。

早速のコメント、ありがとうございます。

実は私、若い頃に大けがして死に損なっているので、「人生の終焉」とか「死」については、何というか、慣れ親しいみたいな、そこにいつでもあるものみたいな感覚を持ってるんですよ。

なのに、「あの世」とか「極楽浄土で再会」って全然ぴんとこなくて・・・。

もしかして、自分が転生への道を歩む気がしてるからなんですかねーw
謎です。へへ。

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