最近、猫が亡くなる1週間前頃の、ちょっと歩いたら「ハァハァ」して、その呼吸を整える姿を思い出す。

苦しかっただろうなぁ、と思う。
と同時に、その姿ですら愛らしかったなぁと思いだす。

夜中に何度も目が覚めて、自分のベッドにいる長男猫の姿を確認したことを思い出す。


そうして、やっぱり1日でも長く一緒にいたかったんだな、私ったら。
と、ふと気付く。


最期の夜まで、ご飯も食べて、お水も飲んで、自分でトイレに行けた長男猫。

意識が無いとか、ご飯が食べれないとか。
そういう状態であったなら、違ったでしょうけれど。

主治医に安楽死を勧められても、
どうしてもその選択肢は取れなかった。

長男猫のために私の枕元に置いていた、そして今も置いてあるコップから、
最近長女猫が時々水を飲んだりします。

枕元で水をピチャピチャ飲む音を聴きながら、
感傷的になったりもするけれど。


やっぱり最期まで見届けるという選択肢は間違ってなかったと思いたい。
彼はきっと最期までみんなと一緒にいたかったんだと、想いたいな・・・・・・。


高齢猫の最期の選択肢は色々。
どれを取ってもきっと辛いけれど、その動物のために考え抜いた結論は
きっと正しいんだと思う。

何度考えても、そう思う。

コメント

鵺
2012年4月23日22:54

ありがとうございます

はにゃ。
2012年4月24日17:28

しばらくお辛いでしょうけれど・・・・・。

焦って乗り越えようとしても駄目だなぁと、しみじみ思う今日この頃。
泣かずに心から「ありがとう」って思える様になることが私の目標です。

ご自愛くださいね。

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