猫は相変わらず低空飛行ながら、頑張っている。

でも、もう治療は無い。

すこしでも胸に溜まる水を排出する助けにならないかと、朝晩利尿剤を服用させる。
それだけ。

朝晩ご飯をあげながら、祈る様な気持で「良い子だから食べてね。」って、想う。

家を出るたびに「良い子でお留守番していてね。」って撫ぜながら、「もう会えないことになるかもしれないんだな。」と思う。

そういう毎日。



この猫は以前のボーイフレンドと暮らしていたアパートのベランダで拾った野良猫。
もう18年も経つんだなぁ・・・・・。


その当時のボーイフレンドとは、偶然出くわす以外に会うことも無いし、連絡も取っていない。今彼が可愛がっていた猫が生と死の狭間にいることも、特に知らせていない。

今後も特に連絡はしないだろう。


ルームメート達がどれだけこの猫を可愛がっても、またどれだけ悲しがったとしても、
私の中の悲しみ( grief )は、誰とも分かち合うことは出来ない悲しみ。


とてもプライベートな悲しみ。


大切な人が隣にいてくれたら、もちろん安らぎや慰めにはなる。
肩を貸してくれたらそこで泣くことも出来るだろう。
でも、悲しみそのものが共有されるわけではない。


今この瞬間に、猫がすやすやと夢でも見ながら眠ってくれていることを願いながら。
この3カ月はこのプライベートな悲しみに包まれてきた日々だったなぁ、と、ふと思う。


そして、それは現在も継続中・・・・。

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