先日、前職の同僚というか、社長の息子さんが急死した。救急搬送されて10日、一度も意識は戻らなかったそうだ。

段々年を経るにつれて、訃報は増える一方だけれど、この訃報はさすがにかなりショックだった。


何年も毎日一緒に仕事をしていた相手。
自分よりずっと年下。
思春期のお子さん達。
二代目として溺愛されて、嘱望されていたこと。
その他、諸々。


私はいつも自分の交通事故のことを書いているけれど、自分自身、一歩間違えばそうやって救急搬送されてそのままだったかもしれないし。

あんなに親に可愛がられて大切にされて、若い頃から金銭的には困るような思いをせずに、将来を約束されても。
人間呼ばれる時には呼ばれてしまうものなんだなぁ・・・・・・と、深く深く想いましたねぇ・・。

今更ながら。

今年は震災もあって、ヒトの生死を分ける何かということを考えてしまうことが多かったんだけど。

今、仮に首都圏で地震が起きたら、なんて想像をすると悪いことを考えて胸が痛くなったりしたのだけれど。


もう、そういうまだ起きてはいない「哀しいこと」を考えるのは止めようと思ったり、しましたねぇ。


もちろん、「防災」という意味合いでは考えることは必要なのだけれど。
それから発生する「哀しい出来事」については、考えてもしょうがない、と。

考えても何かをコントロールできるわけではないし。
生き残る人は生き残るし、続く愛は続くんだと考えよう、と思ったり、ね。


私の中には、これからについて「諦め」を持つ自分と、悪いことが起きるのを勝手に予想してそれに影響されてしまう自分というのがいて(これは朝普通に大学に行ったのに、そのまま大怪我をした経験からね)。


この間不思議なご縁でお話をさせて頂いた方にも、その「悪いことを想像しないように」という点を矯正(言葉が変だけど)という方向の話をしたんだけど。


今回のこの訃報で、良い意味でなのかなぁ・・・、以前より余計に「諦め」が進んだかなぁ・・・って、思ったりしている自分がいます。

起きるかどうか解らない何か哀しいことを考えて不安になっても意味が無いってね。



最近ねぇ、今目の前にある幸せを大切にするしかないよなぁ・・・・と、本当に想うのよね。
それ以外に自分自身に対して出来ることは、大して無いんじゃないのかなぁ・・・・、とかね。


諦観なんだけど、刹那主義とはちょっと違う、前向き的な静かな待ちというか。
そんな感じ。

コメント

砂姫
2011年11月16日18:29

そういう気持ちを突き詰めていくと、悟り、がやってくるのかもしれないですね。
心中おだやかに、静かに、生も死も全部ひっくるめて人生だ、というような。

先日、癌で亡くなった作家の遺書のような遺作(エッセイ)を読んで、同じようなことが書いてあったなあと思い出しました。

ありす
2011年11月16日19:26

人間の力でどうにもならない、「運命」ってものがあるのでしょうか。でも、一分でも大切にして、自分の今ある状態を感謝しつつ(うーん、かなり宗教的な書き方・・そういうつもりじゃないんだけど)生きていたら、とりあえず幸せにすごせると思うのですが。いつかは死ぬんだけど、今は生きてますからね。なんとなくじゃなく、かみ締めて生きるってどうかしら。

はにゃ。
2011年11月17日11:40

>砂姫さま、

「心中穏やかに」とは、なかなか行かないかもしれませんが、受け止める心構えというか。

出来ることは「人生における多くのことが、生も死も含めて、自分ではどうにも出来ないことである」という事実を受け入れることなのかなぁ、と。

人生を諦めているわけでは無いんですけどね。喜びはきちんと享受しているのですが、予想もつかないことが起きることがあるものなんだよねって改めて言葉になったって感じでしょうか。そんな感じがしたのでした。

はにゃ。
2011年11月17日11:46

>ありすさま、

感じたのは、幸せかどうか、という疑問や諦めではないのです。今の自分自身は十分幸せだと思っていますし、生きているのは愉しいのです。

でも、そういう幸福や愛しい気持ちも、足元をすくわれるみたいに一瞬で奪われるという事実が厳然とあるのだということを、改めて感じた出来ごとだったってことでしょうか。

もちろんそんなこと起こって欲しくないのですが、いつ誰に起きてもおかしくないんだなぁってね、とても静かにひたひたと感じさせられたのでした。

人生、楽しくありたいですね。本当に。

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