思うところ

2011年4月21日 ヲトナ道
3.11以来。

色々と思うところはあるよね。


アメリカ人にとって 9.11 はその前には戻れない point of no return になってしまったんだろうなぁ、と想うのと同様に。

日本人にとって色々な意味で 3.11 は point of no return なんじゃないかなぁとは、思っている。


悪い意味だけじゃなくてね。


幸いなことに首都圏に住む私たちはもう生活は困らない。
それでも、私たちは多かれ少なかれ疲弊し、傷つき、動揺しているのだと思う。


情報をひたすら求める人。
淡々と日常生活を送る人。
行動する人。
西へ避難する人。

その対処はその人その人が決めれば良いこと。

でも、やっぱりそんな動揺している今だから、その人の本質みたいなものがその行動に炙りだされると思う。


田口ランディさんがブログでこんなことを書いていた。

--以下引用--

緊急時のときは、男の人と女の人の違いのようなものが、とてもくっきり現われるなあと思う。
私は自分が女なので、男の人のことは不可解でよくわからない。
よくわからないので興味があり、だから私の書く小説の主人公は男性が多い。

昨日、友人と話していて、男はロマンに弱いということを聞いた。
友人は男性である。男はロマンが好きで、女はロマンスが好き、なるほどそうかもしれない。
男のロマンとは、使命感と強く結びついているそうだ。
なにかを守らなければ、助けなければ……という思いが強いという。

私にも、子どもを守らなければという思いはある。
子どもは自分の最大の強みでもあり弱点でもある。子どものこととなると感情的になってしまう。
だが、使命感というものは自分にはないなあ……と思う。
だから、もうオバさんになった今、男のロマンには着いて行けない時がある。
男のロマンに着いて行けない私には、そのロマンを共有することで起こるロマンスもないのである。

--引用ここまで--

実によく解る。そうだよなぁと思う。
私には子供はいないけれど、子供がいたらやっぱりもっと感情的になっていると思う。

でも、心配すべき子供もいないし、まぁそこそこ生きた私は、現時点の首都圏での状況なら、例えばこの先癌になる確率云々を挙げるならば個人的にはアルコールとか紫外線とかそういう個人的事情の方が高いだろうし、正直言うとまぁしょうがないや、っと思っている。

もう、元の生活は無いのだから。

放射能や検出される様々な放射性物質に無関係でいられた生活には、もう二度ととは言わないまでも相当長いこと戻れないのだから。



これは原発に反対とか、政府の対応がどうのとか、東電はどうなのよ、とかそういうこととは関係ない。それは別の話。



現実の今の状況に対して、自分はどうするかということ。



私は、現時点では特に何も変わらずに日常生活を送る、と。



サイレントに原発には反対だったけれど、何も声を上げずに東北地方に私たちの電力供給のための原発を押しつけて私たちは快適な生活を送ってきたのならば、そのつけを払うってことかなぁ・・・・・・と、思いつつ。




そのほかもちろん色々と、思うところはある。

この先の原発に対する意見とか、「全くもーーーーっ」と思うこととか、もちろんたくさんある。

でも、あんまりそのことは書きたくない。


私は今自分の備忘録的に記しておきたいことは、こういう極限的なことが起きた時に、誰のことばにしっくり自然に寄り添える/寄り添えたか、誰の態度に何故か解らないけれど違和感を感じる/感じたか、とか、そういうこと。

そういうことがあった、と、そういうこと。



私は少なくとも、ある人の言葉や態度で安心できたひと時があったし。

どうもその考えは違うんだよなぁと、自然距離を置いてしまう人への心持もあったし。


そういうこと。



誰が悪いとか正しいとかではない。

ただ、そういうことがあったな、ということ。

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