白夜行の2部、とのことですが・・・。



東野圭吾は今とっても売れっ子の作家だと思いますが、実は少々苦手。

今までに何度かトライしましたが、どうしてももうひとつ面白いと思えない。

で、何年か前の「白夜行」だけは面白かったのだよね。この頃天童荒太の「永遠の仔」とこの白夜行が表と影みたいな作品を成していて、両方面白く読んだものでした。


そうして、なぁんの事前知識もなく、何となく本屋で見つけた幻夜。

白夜行の第二部、だったのねぇー。それも読み終わった後に解説で知る始末。まぁ、逆にそれが良かった気がします。


~~~~ネタバレします~~~~~

何らかの事情があって別人になりすます、と言えば宮部みゆきの「火車」を思い出すところですが。

阪神大震災という設定を上手に生かして、なるほどストーリーテラーだなぁ、とは思うんだけどねぇ・・・・・。

その成り行きや数々の犯罪・悪行に、正直、白夜行の様な切羽詰った必要性みたいなものがいまひとつ感じられなかった気がしますなぁ。

上手に描けてるよなぁ、とあちこち読み返してしまうんだけどね。思い入れできない、というか。

どう「白夜行」と繋がってるのかと思って、「白夜行」まで読み返してしまいました(笑)。どちらも800ページ程度。2日間、風邪の回復のお供でございやした。

「白夜行」の解説でも述べられてるけど、「白夜行」では本人たちの思いや2人の会話は一切出てこない。それが非常に功を奏していると思われる。

反して、「幻夜」では、主人公美冬のあけすけな(関西弁での)思惑が語られ、パートナーである雅也の心の動きやとまどいや怒りまでもつづられる。


それでも、なぜだか物語にのめりこめないんだなぁ。どうしてかなぁ。

繰り返し描写される稀代の悪女、主人公「美冬」の「美しさ」がどうしてもすっと気持ちに届かないっていうのもあるのかなぁ。

とにかく、登場人物の男性が揃いも揃って、「雪穂」や「美冬」の美しさに絡め取られていくっちゅうのに、どーも違和感が、ねぇ。まぁ、確かに、それが「オトコの性」ってことで、男性的視線の所以かもね。

「白夜行」は、それこそ親に売られて中年オヤジの相手をさせられていた極貧の小学生が、図書館で一緒にいる時だけは(恐らく)子供に戻れた桐原と、いわば2人でそのオヤジを殺すことで自分達を救済したという魂の結びつきが何にも勝る価値だったのかなぁ、と。

雪穂が成功するためだけではなく、桐原が生き延びてゆくためにも、お互いが悪行をしてゆくわけで。昼でもなければ月夜でもない、「白夜」を共に歩いていくパートナーのためにはお互いに何でもする、っていうところが、まぁ、ぐっと来るわけだけれど。

「幻夜」は、「白夜行」の後に何があったのか解らないけれど、その過去を捨て去り自分が成功するために、相手を騙してでもなんでもさせる、っていうのじゃ、単なる反社会性人格障害じゃないか、これでは。

そこまでしてリセットしたかった過去が、「白夜行」と「幻夜」の間に発生したのか。第三作でそれが語られたりするのかしらん。

その切実さが無い(あるいは現時点では解らない)ところが、共感を呼ばないのかなぁ、と思ったり。

うむむ。

やっぱりさ、犯罪ものでも、火車の様に主人公に共感させる切実さと魅力が無いとねぇ・・。



幻夜と火車では、個人的には火車に軍配ですなぁ。



悪くはないし、上手なんだけどね。やっぱり東野圭吾にはのめりこめない、かもでした。

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