先日、フランス人で日本在住(基本的には日本びいき)の女性ジャーナリストが書いた「日本人は年齢を気にし過ぎ。同世代で固まりがちな傾向があって、同い年だよって紹介されることがよくあるけど、友人になるには年齢は関係ないし。」という趣旨の短いコラムを目にして、うんうん、これは私もかなり同感だよなー、と思ったわけです。
日本人って年をすぐ訊くし、しかも学年が同じかどうかって結構気にするよねー。学校を卒業してこんなに時間が経ってるんだから、学年なんてもうどうでも良いじゃんかーっていつも思うんだけどさ。
まぁ、日本の場合、儒教の影響とかあるのでね。複数人間がいたら、その場でのポジションというのもを気にするというのは解るんだけどね。それから、「年上を敬う」というのは美しいとは思うけれど、「個人への敬意」でも良いんじゃないのかなぁ、と思ったりもするわけです。
私もうんと年上もうんと年下の友達がいるし、気が合うか、友人になれるかどうかというのは、年齢も人種も国籍も性別も性的嗜好も関係ないというのは実感しているわけで。
この間SOILのライブの時に一緒に飛び跳ねてたカップルなんて年が自分の半分くらいだよー。あははは。でも、楽しいんだから良いじゃんね?
でもね、かく言う私も、結構な年になってから、5年前に全く違う畑の仕事に転職して・・・・。
自分ひとりで自分の面倒を見なくてはいけない身の上だし。
この先の仕事はどうしよう、とか自分の人生はどうしようとか。あれこれ考えてしんどかった時期もありました。いやー、いわゆるミッドライフ・クライシスってやつだったと思うけど、本当にしんどかった。
でもさ、まぁ、仕事はまじめに働いていれば何とかなるもんだし。それより健康や友人や個人的な生活の幸せというものの方がずっと大切だよな、としみじみ思うわけですよ、この頃は。
でね、特に、この「個人的な幸せ」ってやつを悩ましく考えているここ最近。なかなか人生うまく行かないよねー。
最近改めて気づいたことなんだけど。自分が誰かと一緒にいるときに、自然で自分でいられるということはとても重要なことなんだな、と。
キャロル・キングの唄にNatural Womanという唄がありますが。
♪♪You make me feel like a natural woman.
という歌詞の唄ね。
この誰かと何かをするときに、自然に行動できる相手、というのはまず友人になれるよね。I can be who I am narually.
で、I can be a woman naturally. って感じになると、恋の相手ってなるわけだよねぇ。
この一緒にいて、自然と自分がオンナになれるって言うのが、意外と人を選ぶわけだぁねー。
来年の2月のお誕生日で結構キリの良い年になるんだけどさ。で、年は関係ないんだけどさ。今後の私はどうなるのかなぁ、なぁんてさ。
ちょっと思ったりする今日この頃でございました。
あー、長い独り言だった。失礼。
日本人って年をすぐ訊くし、しかも学年が同じかどうかって結構気にするよねー。学校を卒業してこんなに時間が経ってるんだから、学年なんてもうどうでも良いじゃんかーっていつも思うんだけどさ。
まぁ、日本の場合、儒教の影響とかあるのでね。複数人間がいたら、その場でのポジションというのもを気にするというのは解るんだけどね。それから、「年上を敬う」というのは美しいとは思うけれど、「個人への敬意」でも良いんじゃないのかなぁ、と思ったりもするわけです。
私もうんと年上もうんと年下の友達がいるし、気が合うか、友人になれるかどうかというのは、年齢も人種も国籍も性別も性的嗜好も関係ないというのは実感しているわけで。
この間SOILのライブの時に一緒に飛び跳ねてたカップルなんて年が自分の半分くらいだよー。あははは。でも、楽しいんだから良いじゃんね?
でもね、かく言う私も、結構な年になってから、5年前に全く違う畑の仕事に転職して・・・・。
自分ひとりで自分の面倒を見なくてはいけない身の上だし。
この先の仕事はどうしよう、とか自分の人生はどうしようとか。あれこれ考えてしんどかった時期もありました。いやー、いわゆるミッドライフ・クライシスってやつだったと思うけど、本当にしんどかった。
でもさ、まぁ、仕事はまじめに働いていれば何とかなるもんだし。それより健康や友人や個人的な生活の幸せというものの方がずっと大切だよな、としみじみ思うわけですよ、この頃は。
でね、特に、この「個人的な幸せ」ってやつを悩ましく考えているここ最近。なかなか人生うまく行かないよねー。
最近改めて気づいたことなんだけど。自分が誰かと一緒にいるときに、自然で自分でいられるということはとても重要なことなんだな、と。
キャロル・キングの唄にNatural Womanという唄がありますが。
♪♪You make me feel like a natural woman.
という歌詞の唄ね。
この誰かと何かをするときに、自然に行動できる相手、というのはまず友人になれるよね。I can be who I am narually.
で、I can be a woman naturally. って感じになると、恋の相手ってなるわけだよねぇ。
この一緒にいて、自然と自分がオンナになれるって言うのが、意外と人を選ぶわけだぁねー。
来年の2月のお誕生日で結構キリの良い年になるんだけどさ。で、年は関係ないんだけどさ。今後の私はどうなるのかなぁ、なぁんてさ。
ちょっと思ったりする今日この頃でございました。
あー、長い独り言だった。失礼。
コメント
年(というか年齢?)は自分の生き方に直接関係ないとしても、自分の中での漠然とした節目っていう意味で、自分の年齢を意識する瞬間ってのはありますね。
なぜか私の場合はそれが干支です(笑)。つまり12年周期。過去になんらかの大きな事は年女の時に体験してるんです。たぶん偶然だとは思うのですが(^^;。
うふふ。なんとなくねー、ふと、思うって感じなんですけどね。
干支といえば、私36歳のお誕生日の時に「あー、もう三回りも生きたんだなぁ」って突然思って、少々高級な腕時計を自分へのご褒美に衝動買いしました!三回りってアイデアはアジア人っぽいですよねー、考えてみれば。
今回は干支ではないのですが、やっぱり、ふと節目っぽいなって思ったりしています。まぁ、流れに身を任すしかないんですけどね。えへへ。
こちらでいう「友達」は、同じ年に生まれた人のことで、誕生日が数日違うだけでも生まれた年が違えば「お姉さん」とか「妹」(血は繋がっていないけど)と言うんですよ。相手の年齢によって呼び方が変わるから、それも仕方ないとは思うのですが、なんとなく年齢を聞かれると、それだけで友達にはなれない「壁」をつくられてしまったような気持ちになるのも事実・・・。
だけど、年齢なんてどーでもいいじゃん!て思う一方、どこかで自分の年齢を気にしはじめている自分がいて、ちょっと複雑。私も今後の身の振り方に悩んでおります・・・^^;
あー、そうかぁ、そうですよねー。儒教の国、韓国ですもんねー。「友達」が同じ年に生まれた人だけ、って凄いなー。徹底してますねー。それぞれの文化をあれこれ言うべきじゃないけど、西洋文化に慣れた身としては、やっぱりちょっとびっくりしちゃいますよねぇ。
身の振り方はいくつになっても迷ったりするものなんだろうなぁ、と思うのですが、人生は短い!を座右の銘に何とか乗り切ってゆきたいなぁ、なぁんて、思ってるワタクシです。えへへ。