日曜は母方の祖母の三回忌でした。
私の家族は母方・父方共に係累が少ない家族なので、私自身はもういい年になるのに、あまり冠婚葬祭の経験が無いんですよねぇ。
そんな中、初めて近親者を見送ったのが祖母だったのですが、それが2年前。ついこの間のことの様ですがもう3回忌なんですねー。
ふむ。
いつも思うことですが、時って常に均等に流れているわけじゃないんだよなー。正確には「記憶の中の時は」と、言うべきでしょうか。
1ヶ月前のときが凄く遠い記憶になっていたり、2年や5年や10年前の記憶が昨日のことの様に思い出せたりしますもんね。
さて、今回の三回忌の儀式は:
地域の親類縁者(本家とか新家とかですね)がお供え(お菓子やら果物やら)を持って集まってくる。(お茶を出す)
→御坊さん到着(お茶を出す)。
→読経(この時皆さんで唱和)。
→後に会食をするレストランが出してくれる送迎バスを利用してお墓に行ってお参り。
→お寺の本堂で短めの読経。
→精進落とし(レストランの宴会所で会食)
→家に戻って念仏を唱えて終了。
というものでした。
地域や宗派によってきっと随分異なるのでしょうが、経験値がほぼゼロに等しい私にとっては、何もかもが「へーー。」って感じでしたねー。
宴会所で喪服を着て並んでご飯を食べているおばさま、おばあさまを眺めていたら、思い出すのは、ゴッド・ファーザーとかイタリア系の家族が集う結婚式やら御葬式やら。
オトコはオトコで集まってお酒を飲んで。
オンナはオンナで固まって、世間話や家族の話。
あー、どこの文化も一緒だなー。
死者を悼んで黒い服を着て(日本で喪服が白から黒に変わったのは歴史的には結構新しいらしいけど)、家族が集まって、飲み食いするのねー。
そうやって家族や近所の人で出来上がった共同体でルールを守って生きてきたんだよなぁー。
私なんて生まれも育ちもいわゆる新興住宅地だから、こういう日本人の共同体概念って全然身を以って知らないんだよなー。
何となくちょっとは羨ましい気もしなくもないけれど、性格的におとなしく地域のルールに従うなんて出来ないし、きっと今のボヘミアンな生活が身に合っているんだろうなぁ。
などなど、と・・・・。
ちょっと離れた場所から、ビールを(手酌で)飲みながら、そんなことを思っておりました。(大体そんな場所でビールを普通に呑んでいるのは、ワタクシとワタクシの母だけでしたわ。ははは。)
まぁ、外れ物の私達であるわけですね。
ところで、祖母の唇に死化粧の紅を施してから、もう2年ですかー。何か早いです。
でも、愛しい人は生きて離れていても、亡くなって離れていても、心にいれば一緒な気もちょっと。
もちろん今でも祖母が元気で、会えて、話ができたら。どれだけ良いだろうとは思うのだけれど。
私の家族は母方・父方共に係累が少ない家族なので、私自身はもういい年になるのに、あまり冠婚葬祭の経験が無いんですよねぇ。
そんな中、初めて近親者を見送ったのが祖母だったのですが、それが2年前。ついこの間のことの様ですがもう3回忌なんですねー。
ふむ。
いつも思うことですが、時って常に均等に流れているわけじゃないんだよなー。正確には「記憶の中の時は」と、言うべきでしょうか。
1ヶ月前のときが凄く遠い記憶になっていたり、2年や5年や10年前の記憶が昨日のことの様に思い出せたりしますもんね。
さて、今回の三回忌の儀式は:
地域の親類縁者(本家とか新家とかですね)がお供え(お菓子やら果物やら)を持って集まってくる。(お茶を出す)
→御坊さん到着(お茶を出す)。
→読経(この時皆さんで唱和)。
→後に会食をするレストランが出してくれる送迎バスを利用してお墓に行ってお参り。
→お寺の本堂で短めの読経。
→精進落とし(レストランの宴会所で会食)
→家に戻って念仏を唱えて終了。
というものでした。
地域や宗派によってきっと随分異なるのでしょうが、経験値がほぼゼロに等しい私にとっては、何もかもが「へーー。」って感じでしたねー。
宴会所で喪服を着て並んでご飯を食べているおばさま、おばあさまを眺めていたら、思い出すのは、ゴッド・ファーザーとかイタリア系の家族が集う結婚式やら御葬式やら。
オトコはオトコで集まってお酒を飲んで。
オンナはオンナで固まって、世間話や家族の話。
あー、どこの文化も一緒だなー。
死者を悼んで黒い服を着て(日本で喪服が白から黒に変わったのは歴史的には結構新しいらしいけど)、家族が集まって、飲み食いするのねー。
そうやって家族や近所の人で出来上がった共同体でルールを守って生きてきたんだよなぁー。
私なんて生まれも育ちもいわゆる新興住宅地だから、こういう日本人の共同体概念って全然身を以って知らないんだよなー。
何となくちょっとは羨ましい気もしなくもないけれど、性格的におとなしく地域のルールに従うなんて出来ないし、きっと今のボヘミアンな生活が身に合っているんだろうなぁ。
などなど、と・・・・。
ちょっと離れた場所から、ビールを(手酌で)飲みながら、そんなことを思っておりました。(大体そんな場所でビールを普通に呑んでいるのは、ワタクシとワタクシの母だけでしたわ。ははは。)
まぁ、外れ物の私達であるわけですね。
ところで、祖母の唇に死化粧の紅を施してから、もう2年ですかー。何か早いです。
でも、愛しい人は生きて離れていても、亡くなって離れていても、心にいれば一緒な気もちょっと。
もちろん今でも祖母が元気で、会えて、話ができたら。どれだけ良いだろうとは思うのだけれど。
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