人と人の「付き合い」って、本当に難しい。

ワタシは、一度交通事故で死に損なって後は余生だと言い暮らしてはきましたが。

そこは若気の至り。

あれこれ、墓場までもっていきたい失敗や秘密もございます(笑)。

でもねぇ、最近つくづく思うのは、儀礼・義理・形式の付き合いはやめよう、ということ。

自分が好きだ、大切だと思う人たちだけと付き合ってゆきたいんだな。

それが例え少数なのだとしても、寂しくなんかない。

本題からはちょっと外れるけれど、そもそも日本の付き合いは義理や形式が幅を利かせているのが、実に気に入らないしさ。

お祝いをプレゼントしても、半額相当の何かを返すとかさ。ばっかじゃないのーーーーーーーー。って思うわけよ。

そもそも互助みたいなことから発達した香典やご祝儀だとしたら。相手が物入りの時にそれをみんなで負担するんならそれで良いじゃん。いちいちその時にお返ししてたらなんにもならん。と腹が立つ。

だから、お返しをしてきそうな、つまり義理という範疇でのお付き合いの人にはもうお祝いとか、しない。義理の結婚式やお葬式は行かない、ときっぱり生きたいもんだ。(お世話になったときのお礼は別よん。)

でもねぇ、微妙なラインでの冠婚葬祭ってものもあるのよねぇ。

義理でもない、でももうちょっと薄れかかっている人間関係とかさ。

ご本人そのものはそれなりに知っているけど(親密ってほどではない)、全くお会いしたこともない親御さんが亡くなったとかさ。

そういうのに不義理を重ねて良いものか、と思う弱気な自分もいるわけさ。


若い時には、若い時なりの悩みがあって。

中年には、中年なりの悩みがあるのよねぇ。

まったく。

人間は社会に生きる生き物だからしょうがないんだけどさ。

まぁ、アメリカみたいに、「勝手に独善的に自己を叫ぶ」様にはならないように気をつけようと、思っていますがねぇ。

でもさ、生きている、そしてプラスの感情を伴っている人間関係が大切なのよ。

義理はいらんのよ。

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