到達するもの

2006年6月3日 音楽
要はどこまで(自分のプレイが)行けるか、ってことなんだよね。

とは、某氏の発言。

プレイする側はこれで良しってことは無いわけよね。


ジャズのライブに行き始めてしばらくした頃。どこかの時点で誰かの「リーダーライブ」という形のセッションにちょっと飽きていた頃がある。

セッションだから、パーマネントなメンバーじゃなくて、その日その日でメンツが変わる。

リーダーのオリジナル曲にスタンダード、その日のメンバーのオリジナル曲などなど。やりたい曲の譜面を持ち寄って。

テーマがあって、ソロ回しがあって、掛け合いがあって・・・。

みたいなある種のフォーマットみたいな定番的な運びになる場合が多いと思う。

もちろん上手だし、あーかっこ良いなぁ、って思ったり。楽しめるのだけれど。

そうじゃなくて、何かが創り上げられてゆくのを実感したいと思って、セッションではどこか物足りなくなっていた自分があったのだと思う。

昨日のJ.A.Mで自分の気持ちがある種過剰とも言えるほどに反応したのは、こういう過程があって。

定点観察してきたユニットが、そのパフォーマンスでどこかに到達したのを目の当たりにした様な気がしたのもあるのでしょう。

こういうライブを観たかったんだよな、ってことなのかな。



あの頃からまた時間が経って、今は又リーダーライブ的セッションはちゃんと楽しめるんですけどね。

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