地域共同体としての仏事、かぁ。
2005年5月26日 日常先日の祖母の逝去に伴ってあれこれと「ほぉ〜」っと思ったことをつらつらと。
お通夜・告別式はその宗派や地域によって随分と異なるものだと思うのだけれど、祖母が住んでいた愛知県で初めて見た不祝儀袋がありました。
「御淋見舞い」というもの。
あの辺りの伝統的なしきたりでは、
・お通夜 → まずこの「御淋見舞い」としてお饅頭などを持参する。
*このお饅頭は次の日に焼き場へ持っていってお骨上げを待っている間にふるまったそうだ。最近は少しずつ変わってきて現金になりつつあるという。
・お通夜(あるいは告別式に参列した時かな) → 「ご霊前」あるいは「お香典」(現金)
・告別式が終わってお骨を持って帰ってきて、そのまま初七日の法要 → 「ご仏前」(現金)
とフルに参列した場合は、御淋見舞い・ご霊前・ご仏前と3回いわゆるお香典を出すみたいです。
ふ〜〜〜〜ん。
告別式が終わった次の日の晩には地域共同体の人たちが「お念仏」と言って故人の家に集まってお線香を上げてくれて、お坊さんにもお経をあげてもらうそうで。
この際に法要の際に飾られていた果物の籠盛りをばらして、中の果物をお土産に配るとか。
へぇ〜〜〜〜。
この果物の籠盛り。横浜辺りでは見かけませんが、生花の様に葬儀屋さんに用意してもらう。
私は父方の叔父が八百屋を営んでいたので、この籠盛り自体は小さい頃によく見かけたものだけれど、そんな風に利用されるとは知りませんでしたねぇ。
それからあの辺りはお通夜にはお酒や食べ物の「振舞い」はせずに、お香典を頂いた方へはいわゆる紙袋にお茶やお酒と挨拶状を入れた「お香典返し」を渡す(これは横浜辺りと同じ)。
そして参列してくれた方には斎場の出口で、小袋に入ったお菓子の詰め合わせのようなものをお渡しするのだった。
これまた、へぇ〜〜〜。
それから、お手伝いをしてくれた方には「助六(稲荷寿司と干瓢巻き)」のお弁当を配り、親族も同じものを頂く。生ものは食べない。
横浜ではお通夜というと斎場のどこかに飲食の場所を設け、「供養ですから」と、酒と寿司を振舞うのが平均的な姿なのでこれも新鮮。
やっぱり、地域によってあれこれ、ですなぁ。
先日亡くなった祖母や彼女と長年同じ地域に暮らしていた方々は、地域共同体で葬式を出していた世代の最後のしっぽとも言ってよい年代に当たるのでしょう。
昔は「村で人が亡くなった」となれば、町内会の中でさらに細分化された「組」組織のの組長の家に、誰が何をするのかという役割分担表が貼られ、お通夜の受付から全ての雑事を町内会で仕切っていたそうで・・・。
愛知の小さな郊外都市である祖母の家も今や回りは新しくて小さな建売住宅に囲まれており、昔ながらの「組」組織は古老たちの思う通りには機能してくれないらしい。
そんなことを入り口でぶつぶつとつぶやく85歳の老人。
いつも言っているけれど、係累が少ない我が家ではこういう「小うるさい叔父さんや叔母さん」という存在もほとんど縁が無かったので、これまた新鮮。
横浜の中でますます地域共同体に縁薄い生活をしている身の上として、日本の共同体の匂いをふと垣間見る瞬間でした。
その中で生まれ育っていたら、うっとぉしいわいって飛び出していたんでしょうけれどね(笑)。
お通夜・告別式はその宗派や地域によって随分と異なるものだと思うのだけれど、祖母が住んでいた愛知県で初めて見た不祝儀袋がありました。
「御淋見舞い」というもの。
あの辺りの伝統的なしきたりでは、
・お通夜 → まずこの「御淋見舞い」としてお饅頭などを持参する。
*このお饅頭は次の日に焼き場へ持っていってお骨上げを待っている間にふるまったそうだ。最近は少しずつ変わってきて現金になりつつあるという。
・お通夜(あるいは告別式に参列した時かな) → 「ご霊前」あるいは「お香典」(現金)
・告別式が終わってお骨を持って帰ってきて、そのまま初七日の法要 → 「ご仏前」(現金)
とフルに参列した場合は、御淋見舞い・ご霊前・ご仏前と3回いわゆるお香典を出すみたいです。
ふ〜〜〜〜ん。
告別式が終わった次の日の晩には地域共同体の人たちが「お念仏」と言って故人の家に集まってお線香を上げてくれて、お坊さんにもお経をあげてもらうそうで。
この際に法要の際に飾られていた果物の籠盛りをばらして、中の果物をお土産に配るとか。
へぇ〜〜〜〜。
この果物の籠盛り。横浜辺りでは見かけませんが、生花の様に葬儀屋さんに用意してもらう。
私は父方の叔父が八百屋を営んでいたので、この籠盛り自体は小さい頃によく見かけたものだけれど、そんな風に利用されるとは知りませんでしたねぇ。
それからあの辺りはお通夜にはお酒や食べ物の「振舞い」はせずに、お香典を頂いた方へはいわゆる紙袋にお茶やお酒と挨拶状を入れた「お香典返し」を渡す(これは横浜辺りと同じ)。
そして参列してくれた方には斎場の出口で、小袋に入ったお菓子の詰め合わせのようなものをお渡しするのだった。
これまた、へぇ〜〜〜。
それから、お手伝いをしてくれた方には「助六(稲荷寿司と干瓢巻き)」のお弁当を配り、親族も同じものを頂く。生ものは食べない。
横浜ではお通夜というと斎場のどこかに飲食の場所を設け、「供養ですから」と、酒と寿司を振舞うのが平均的な姿なのでこれも新鮮。
やっぱり、地域によってあれこれ、ですなぁ。
先日亡くなった祖母や彼女と長年同じ地域に暮らしていた方々は、地域共同体で葬式を出していた世代の最後のしっぽとも言ってよい年代に当たるのでしょう。
昔は「村で人が亡くなった」となれば、町内会の中でさらに細分化された「組」組織のの組長の家に、誰が何をするのかという役割分担表が貼られ、お通夜の受付から全ての雑事を町内会で仕切っていたそうで・・・。
愛知の小さな郊外都市である祖母の家も今や回りは新しくて小さな建売住宅に囲まれており、昔ながらの「組」組織は古老たちの思う通りには機能してくれないらしい。
そんなことを入り口でぶつぶつとつぶやく85歳の老人。
いつも言っているけれど、係累が少ない我が家ではこういう「小うるさい叔父さんや叔母さん」という存在もほとんど縁が無かったので、これまた新鮮。
横浜の中でますます地域共同体に縁薄い生活をしている身の上として、日本の共同体の匂いをふと垣間見る瞬間でした。
その中で生まれ育っていたら、うっとぉしいわいって飛び出していたんでしょうけれどね(笑)。
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