日本人的家族観???
2005年3月12日 日常先日あった一家心中未遂というか一家殺害というか、あの事件。
事件が起きた当日に、友人とその話題になった。
奥さんをどうするつもりだったのだろう、と。
友人は「単なる自分の直感だけど、奥さんはいらなかったんじゃないのかな、と思った。」と言う
事件の情報が少しずつ漏れてきたときにも諸説が報道され、奥さんが帰ってきたら彼女もろとも一家全員を殺すつもりだった、とか、何故奥さんが日帰り旅行でいない日をわざわざ選んだんだろう、とか、あれこれ報道されていたようでした。
酒の肴に、というのも不謹慎だが、事件の当日は、乏しい情報だけを元に私たちはあれこれ話したのだった。
「もしかしたら奥さんに後処理を頼むつもりで残したのかもよ。田舎だと墓守とかもいるし。」とか、「好きな家族だけ天国でも一緒にいたいって連れて行きたかったから、いらない奥さんは生かしておいだんだよ。」とか、とか、とか。
今日もう少し情報が出て、奥さんは殺害するつもりは無かったという供述をしているとか。
どうしてなんでしょうねぇ。
う〜〜〜〜〜む。
だってさ、容疑者の動機をすごく知りたいわけでもないけれど、どうしてまた乳幼児まで道連れにしようと思ったんのだろう?残して行くのが忍びなかったとか?????
これと全然違うのだけれど、根っこは一緒なようなハナシを最近聞いたのだ。
アメリカ人の知り合いが自分達には全く理解できないんだけどね、と前置きして話してくれたある日本人カップルのハナシ。
自分のところに研修で来ていた日本人(当時30才かな)が1年くらい前に、職場で「くも膜下出血」だか「脳溢血」だか、ともかく多分「何らかの脳内出血」(英語の病名がいまひとつ解らなかったんだけれど)で職場で倒れて、ほとんど死に掛けたのだそうだ。
救急車が到着した時には呼吸が停止していて、あと5分手術開始が遅かったら間に合わなかったらしい。
でもまぁ、運良く手術も何とかうまく行って、奇跡的に一命を取り留めたらしい。(後遺症はもちろん残っている)
そうして1ヶ月の入院生活後、何とか日本に搬送されて、今リハビリ中らしいのだけれど。
何とその発作から2ヶ月後には、どちらかの側のご両親が特に強く「どうしても」と言って、結局双方合意の形で2人を離婚させたらしい。
アメリカ人が言う。「発作から手術、回復の途中にもあれこれ文化的なギャップはあったんだけど、何で離婚しなくちゃいけないんだ?そこがどうしても理解できない。ましては彼女はまだ彼のことを愛してるって言うんだよ。」
と。
う〜〜〜〜〜む。
言葉に詰まりましたねぇ。
日本人として、あれこれ推測は出来る。
奥さんはまだ30歳前だったようだから、親が彼女の人生が手遅れになる前にあきらめさせようとしたのだろう、とか。(彼がどこまで社会的に回復できるかは全くの謎だったから。)
あるいは、彼女の側のまたは彼の側のご家族のどこかの段階での何かに対する対応がどうしても許せなかったのかなぁ・・・、とか、ね。
でも、彼女はどうやら別れてしまった(別れさせられてしまった?)今でも彼のコトを愛しているらしいのに、どうしてそんな親の言う事をきいて離婚なんてしちゃったんだろうなぁ。彼女の意思ってものはどうしたのだろうか。
親と子がお互いに親離れ・子離れしてなかったのかなぁ。
江戸や明治のハナシじゃないのになぁ。もう21世紀なのになぁ。
アメリカ人に「文化的な違いなのかしら?」と尋ねられても、「う〜〜〜ん。」と首をひねってしまうのよね。
推測できる理由はいくつか思いつきはするけれど、個人的には理解は出来ない。
敢えて説明するのであれば、最初に述べた一家心中と同じように、いつまで経っても子供は親の所有物みたいな感覚が消えないのだろう、としか説明できない。
でもさ、その脳内出血自体は本当にとても悲劇的な事故・病気だとは思うけれど、その後をより一層悲劇にするのは、周りの人間に植えつけられた価値観だと思うんだよねぇ。
そうして、それが全てを悪化させる「デフレ・スパイラル」みたいに作用したんだと思うんだよねぇ。
そうして、これが上記した「親が一家心中を図って子供を殺して自分も自殺して」みたいな構図に結びつく根っこの日本人的価値観のような気がするんだよねぇ・・・・・。
う〜〜〜〜〜む。
絶対神を欲しいとは思わないけれど、ねぇ。
う〜〜〜〜む。
事件が起きた当日に、友人とその話題になった。
奥さんをどうするつもりだったのだろう、と。
友人は「単なる自分の直感だけど、奥さんはいらなかったんじゃないのかな、と思った。」と言う
事件の情報が少しずつ漏れてきたときにも諸説が報道され、奥さんが帰ってきたら彼女もろとも一家全員を殺すつもりだった、とか、何故奥さんが日帰り旅行でいない日をわざわざ選んだんだろう、とか、あれこれ報道されていたようでした。
酒の肴に、というのも不謹慎だが、事件の当日は、乏しい情報だけを元に私たちはあれこれ話したのだった。
「もしかしたら奥さんに後処理を頼むつもりで残したのかもよ。田舎だと墓守とかもいるし。」とか、「好きな家族だけ天国でも一緒にいたいって連れて行きたかったから、いらない奥さんは生かしておいだんだよ。」とか、とか、とか。
今日もう少し情報が出て、奥さんは殺害するつもりは無かったという供述をしているとか。
どうしてなんでしょうねぇ。
う〜〜〜〜〜む。
だってさ、容疑者の動機をすごく知りたいわけでもないけれど、どうしてまた乳幼児まで道連れにしようと思ったんのだろう?残して行くのが忍びなかったとか?????
これと全然違うのだけれど、根っこは一緒なようなハナシを最近聞いたのだ。
アメリカ人の知り合いが自分達には全く理解できないんだけどね、と前置きして話してくれたある日本人カップルのハナシ。
自分のところに研修で来ていた日本人(当時30才かな)が1年くらい前に、職場で「くも膜下出血」だか「脳溢血」だか、ともかく多分「何らかの脳内出血」(英語の病名がいまひとつ解らなかったんだけれど)で職場で倒れて、ほとんど死に掛けたのだそうだ。
救急車が到着した時には呼吸が停止していて、あと5分手術開始が遅かったら間に合わなかったらしい。
でもまぁ、運良く手術も何とかうまく行って、奇跡的に一命を取り留めたらしい。(後遺症はもちろん残っている)
そうして1ヶ月の入院生活後、何とか日本に搬送されて、今リハビリ中らしいのだけれど。
何とその発作から2ヶ月後には、どちらかの側のご両親が特に強く「どうしても」と言って、結局双方合意の形で2人を離婚させたらしい。
アメリカ人が言う。「発作から手術、回復の途中にもあれこれ文化的なギャップはあったんだけど、何で離婚しなくちゃいけないんだ?そこがどうしても理解できない。ましては彼女はまだ彼のことを愛してるって言うんだよ。」
と。
う〜〜〜〜〜む。
言葉に詰まりましたねぇ。
日本人として、あれこれ推測は出来る。
奥さんはまだ30歳前だったようだから、親が彼女の人生が手遅れになる前にあきらめさせようとしたのだろう、とか。(彼がどこまで社会的に回復できるかは全くの謎だったから。)
あるいは、彼女の側のまたは彼の側のご家族のどこかの段階での何かに対する対応がどうしても許せなかったのかなぁ・・・、とか、ね。
でも、彼女はどうやら別れてしまった(別れさせられてしまった?)今でも彼のコトを愛しているらしいのに、どうしてそんな親の言う事をきいて離婚なんてしちゃったんだろうなぁ。彼女の意思ってものはどうしたのだろうか。
親と子がお互いに親離れ・子離れしてなかったのかなぁ。
江戸や明治のハナシじゃないのになぁ。もう21世紀なのになぁ。
アメリカ人に「文化的な違いなのかしら?」と尋ねられても、「う〜〜〜ん。」と首をひねってしまうのよね。
推測できる理由はいくつか思いつきはするけれど、個人的には理解は出来ない。
敢えて説明するのであれば、最初に述べた一家心中と同じように、いつまで経っても子供は親の所有物みたいな感覚が消えないのだろう、としか説明できない。
でもさ、その脳内出血自体は本当にとても悲劇的な事故・病気だとは思うけれど、その後をより一層悲劇にするのは、周りの人間に植えつけられた価値観だと思うんだよねぇ。
そうして、それが全てを悪化させる「デフレ・スパイラル」みたいに作用したんだと思うんだよねぇ。
そうして、これが上記した「親が一家心中を図って子供を殺して自分も自殺して」みたいな構図に結びつく根っこの日本人的価値観のような気がするんだよねぇ・・・・・。
う〜〜〜〜〜む。
絶対神を欲しいとは思わないけれど、ねぇ。
う〜〜〜〜む。
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