最近自分の精神状態がどんどん変わってきている気がする。いわゆるMid-Life Crisis(中年の人生の危機)から抜け出して来たんだろうなぁ。
私は20歳の秋に交通事故にあって(死に損なって)、21歳の誕生日を入院していた病院で迎えて、退院したのが21歳の夏だったんだよね。
その後ずっと「後は余生だから」なんて言っちゃあ暮らしてきたのだけれど、その「余生」も事故前の人生と同じ位長くなってくると、それじゃぁ余生が長すぎるってなもんで。
きっと40歳になる直前くらいから、この後どうやって生きてゆけば良いのだろうととても不安になっていたのだと思う。
でも最近はあれこれ考えても、うまく行く時もあれば行かない時もあるし、病気になったり怪我したりしちゃえばあれこれ考えたことなんかも全部無駄になっちゃうんだし。まぁ何とかなるでしょ〜と気が楽になったんだろうなぁ。
半年位まえにも書いたことだけれど、私は中学生までもの凄い優等生だったから、キモチのどっかで「優等生的生き方」みたいなものが捨てられずにもいたのだと思う。
でもさぁ、今の世の中なんて古い優等生的生き方なんてもう通用しないよね。自分で考えないと。
良い学校行って大きな会社に入ったって、会社の具合が悪ければリストラされちゃうんだし。会社に要求されるからって身体壊すまで働いたって会社が何してくれるわけじゃないのだ。
若い頃に「死」というものを強烈に感じたことがあったから、いつも自分の人生の横には死の影があっていつ死んじゃうか解らないんだな、て思って生きてきたけれど。今もそれは変わらないのだけれど。
例えば先日行ったライブで年配のミュージシャンの方々が演奏を終えた後に、その日はどうやら楽しいライブだったらしく「こういう(良い)日があるからやってられるんだよなぁ。痛い日もあるけどさ。」と笑いながら話していらしたのが聞こえてきた。
そらぁそうだろうなぁ、と思う。ライブなんて生き物だし、自分の調子が悪い日もあるだろうし、観客の調子の悪い時もあるだろうし、入りが悪い日なんてたくさんあるだろうし。
それでも好きなことを何十年も続けてらして、良い日もあれば悪い日もあるけど、こういう良い日があるからこうやって続けていられるんだよね、という言葉はとても私のココロに染みる。
あるいは、若手のミュージシャンと話していて彼が年配のミュージシャンに対して敬意を持っていることがひしひしと伝わってきて、自分もああいう風になりたいと言っているのを聞くと、それはとても素敵なことだよな、と思う。
これは別に音楽に関係している人に限ったことでなくてね。
私は親が割りに固い職業だったせいもあるだろうし、高度成長期やバブルの時代を通ってきているので(でも本当に世の中が狂ったようにバブリーだった1988-1990はアメリカに行っていたので実感としては知らないんだけどね)、大人になったらちゃんとした仕事について、家庭を持って、家を持って・・・・・、みたいな世の中の王道的な価値観を植えつけられて育ったと思うんだよねぇ。
でもさ、ようやく自分が思春期の子供がいてもおかしくない、親になりうる年になってみると、そんな価値観どうでも良いや、って思うわけだ。
いや、もちろん自分の生活を自分で支えるってことは必要だと思うけど。
基本は「愛」なのよん。
愛する人たちがいて、日々を楽しく生きてゆかれれば、もうそれで良いなぁ、と思うのよ、最近つくづく。
それで結果長く生きるのかもしれないし、結構若くして死んじゃうかもしれないけど、まぁそれで良いか、と。
もうねぇ、本当に余分なものはあれこれいらないなぁ、と思う今日この頃のワタクシなのでした。
(しかし、長いな、今日は。失礼。)
私は20歳の秋に交通事故にあって(死に損なって)、21歳の誕生日を入院していた病院で迎えて、退院したのが21歳の夏だったんだよね。
その後ずっと「後は余生だから」なんて言っちゃあ暮らしてきたのだけれど、その「余生」も事故前の人生と同じ位長くなってくると、それじゃぁ余生が長すぎるってなもんで。
きっと40歳になる直前くらいから、この後どうやって生きてゆけば良いのだろうととても不安になっていたのだと思う。
でも最近はあれこれ考えても、うまく行く時もあれば行かない時もあるし、病気になったり怪我したりしちゃえばあれこれ考えたことなんかも全部無駄になっちゃうんだし。まぁ何とかなるでしょ〜と気が楽になったんだろうなぁ。
半年位まえにも書いたことだけれど、私は中学生までもの凄い優等生だったから、キモチのどっかで「優等生的生き方」みたいなものが捨てられずにもいたのだと思う。
でもさぁ、今の世の中なんて古い優等生的生き方なんてもう通用しないよね。自分で考えないと。
良い学校行って大きな会社に入ったって、会社の具合が悪ければリストラされちゃうんだし。会社に要求されるからって身体壊すまで働いたって会社が何してくれるわけじゃないのだ。
若い頃に「死」というものを強烈に感じたことがあったから、いつも自分の人生の横には死の影があっていつ死んじゃうか解らないんだな、て思って生きてきたけれど。今もそれは変わらないのだけれど。
例えば先日行ったライブで年配のミュージシャンの方々が演奏を終えた後に、その日はどうやら楽しいライブだったらしく「こういう(良い)日があるからやってられるんだよなぁ。痛い日もあるけどさ。」と笑いながら話していらしたのが聞こえてきた。
そらぁそうだろうなぁ、と思う。ライブなんて生き物だし、自分の調子が悪い日もあるだろうし、観客の調子の悪い時もあるだろうし、入りが悪い日なんてたくさんあるだろうし。
それでも好きなことを何十年も続けてらして、良い日もあれば悪い日もあるけど、こういう良い日があるからこうやって続けていられるんだよね、という言葉はとても私のココロに染みる。
あるいは、若手のミュージシャンと話していて彼が年配のミュージシャンに対して敬意を持っていることがひしひしと伝わってきて、自分もああいう風になりたいと言っているのを聞くと、それはとても素敵なことだよな、と思う。
これは別に音楽に関係している人に限ったことでなくてね。
私は親が割りに固い職業だったせいもあるだろうし、高度成長期やバブルの時代を通ってきているので(でも本当に世の中が狂ったようにバブリーだった1988-1990はアメリカに行っていたので実感としては知らないんだけどね)、大人になったらちゃんとした仕事について、家庭を持って、家を持って・・・・・、みたいな世の中の王道的な価値観を植えつけられて育ったと思うんだよねぇ。
でもさ、ようやく自分が思春期の子供がいてもおかしくない、親になりうる年になってみると、そんな価値観どうでも良いや、って思うわけだ。
いや、もちろん自分の生活を自分で支えるってことは必要だと思うけど。
基本は「愛」なのよん。
愛する人たちがいて、日々を楽しく生きてゆかれれば、もうそれで良いなぁ、と思うのよ、最近つくづく。
それで結果長く生きるのかもしれないし、結構若くして死んじゃうかもしれないけど、まぁそれで良いか、と。
もうねぇ、本当に余分なものはあれこれいらないなぁ、と思う今日この頃のワタクシなのでした。
(しかし、長いな、今日は。失礼。)
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