今日は、友人がやっているゲイバーに複数名にて呑みに行く予定。
お酒はほぼ毎日飲んでいるのだけれど、最近「呑みに行く」という行為からは随分遠ざかっている。前の会社で同僚だった女の子と時々ビールを飲みに行く位。
「酒場に行く」という行為に求めていた何かを、今の私はあまり必要としていないということだよね。
恐らく「ライブに行く」という行為がそれに取って代わったのだろう、とは思うのですが。
こうやって人は変化してゆく。
だから、面白い。
ある時に人生において無くてはならないものが、しばらく経ってみたら全然必要でなくなっていたり。逆も、ある。
私は子供の頃から本を読むのが好きで、今でも必ず寝る前に本を読む。休日は一日中本を読んでいることも多い。ほとんど「小説」を読む。ノンフィクションは小説に比べるとあまり読まない。
だから(かな?)、本を読む人が好きだ。小説でなくても、本を読むという習慣がある人が好きだ。
それから若い頃から音楽は好きだし、最近は逆に若い頃より頻繁にライブにも行っている。気安く行けるライブハウスなどが増えて選択肢が広がったという理由もあると思うけれど。
自分の人生において、音楽や読書はまさにライブな、リアルタイムなものであり続けている。
若い頃は、みんな結構音楽を聴いたり、小説を読んだりしたよね。(最近の若い子は違うかもしれないけど、少なくとも今中年の人たちが若い頃はみんな小説って読んでいたように思う。)
でも、年を経て、忙しくなって、興味の対象が変わったりして・・・。
音楽を聴いたり、本を読んだり、というたぐいの行為に割く時間が少なくなってしまう、あるいはほとんど無くなってしまう、という人は多いと思う。
あるいは興味の対象が変わったりもしているのだろうね。シングルモルトについて追求するとか、バス釣りをする、とかね。
あるいは、無趣味・無嗜好、ということになってしまうのかもしれない。
何たって、日本のサラリーマンはたくさん働かされて忙しいのだ。疲れているのだ。そんなにあれこれはやっていられない。
自分自身も前の会社では忙しくて、時間に追われる生活って感じだった。上司次第で夕方の予定を変更しなくてはいけないということが日常茶飯事で、ライブのチケットを取るとかイベントに行くというのは一大事だった。
だから大げさに言えば、前の会社は人生をリセットしたくて辞めたみたいなもんだった。
でもね、こういう自分や自分の人生を色づけてくれる「嗜好」みたいなものって実はとても重要じゃないのかな、と思うのだ。
敢えて嗜好と呼ぶのは、趣味というよりもうちょっと快楽的な意味が強い様な気がするから、かな。
なぁんにも社会的な意味なんて無くて良いのだ。ただ楽しい、とか、そんなこと。人生に喜びを与えてくれる、キラキラした何か。
そういうものがあるから自分自身を(特に魅力的に、ね)保持してゆけるんじゃないのかなぁ、って最近よく思うんだよね。
そして、そういう嗜好を持っている人についつい魅かれてしまうのよねぇ。
もちろん、この嗜好と仕事が重なっているなんていうラッキーな人はとても輝いているしねぇ。
社会的にどうこう、と言うよりも。
そんなこんなで、いまだに履歴書の趣味は「読書と音楽鑑賞」というべたなことしか書けない自分ではありますが。
まぁ、良いのだ、これで。
何かのハザマに垣間見る煌きや悦びが大切。
それがあるから生きてゆけるのだ。
お酒はほぼ毎日飲んでいるのだけれど、最近「呑みに行く」という行為からは随分遠ざかっている。前の会社で同僚だった女の子と時々ビールを飲みに行く位。
「酒場に行く」という行為に求めていた何かを、今の私はあまり必要としていないということだよね。
恐らく「ライブに行く」という行為がそれに取って代わったのだろう、とは思うのですが。
こうやって人は変化してゆく。
だから、面白い。
ある時に人生において無くてはならないものが、しばらく経ってみたら全然必要でなくなっていたり。逆も、ある。
私は子供の頃から本を読むのが好きで、今でも必ず寝る前に本を読む。休日は一日中本を読んでいることも多い。ほとんど「小説」を読む。ノンフィクションは小説に比べるとあまり読まない。
だから(かな?)、本を読む人が好きだ。小説でなくても、本を読むという習慣がある人が好きだ。
それから若い頃から音楽は好きだし、最近は逆に若い頃より頻繁にライブにも行っている。気安く行けるライブハウスなどが増えて選択肢が広がったという理由もあると思うけれど。
自分の人生において、音楽や読書はまさにライブな、リアルタイムなものであり続けている。
若い頃は、みんな結構音楽を聴いたり、小説を読んだりしたよね。(最近の若い子は違うかもしれないけど、少なくとも今中年の人たちが若い頃はみんな小説って読んでいたように思う。)
でも、年を経て、忙しくなって、興味の対象が変わったりして・・・。
音楽を聴いたり、本を読んだり、というたぐいの行為に割く時間が少なくなってしまう、あるいはほとんど無くなってしまう、という人は多いと思う。
あるいは興味の対象が変わったりもしているのだろうね。シングルモルトについて追求するとか、バス釣りをする、とかね。
あるいは、無趣味・無嗜好、ということになってしまうのかもしれない。
何たって、日本のサラリーマンはたくさん働かされて忙しいのだ。疲れているのだ。そんなにあれこれはやっていられない。
自分自身も前の会社では忙しくて、時間に追われる生活って感じだった。上司次第で夕方の予定を変更しなくてはいけないということが日常茶飯事で、ライブのチケットを取るとかイベントに行くというのは一大事だった。
だから大げさに言えば、前の会社は人生をリセットしたくて辞めたみたいなもんだった。
でもね、こういう自分や自分の人生を色づけてくれる「嗜好」みたいなものって実はとても重要じゃないのかな、と思うのだ。
敢えて嗜好と呼ぶのは、趣味というよりもうちょっと快楽的な意味が強い様な気がするから、かな。
なぁんにも社会的な意味なんて無くて良いのだ。ただ楽しい、とか、そんなこと。人生に喜びを与えてくれる、キラキラした何か。
そういうものがあるから自分自身を(特に魅力的に、ね)保持してゆけるんじゃないのかなぁ、って最近よく思うんだよね。
そして、そういう嗜好を持っている人についつい魅かれてしまうのよねぇ。
もちろん、この嗜好と仕事が重なっているなんていうラッキーな人はとても輝いているしねぇ。
社会的にどうこう、と言うよりも。
そんなこんなで、いまだに履歴書の趣味は「読書と音楽鑑賞」というべたなことしか書けない自分ではありますが。
まぁ、良いのだ、これで。
何かのハザマに垣間見る煌きや悦びが大切。
それがあるから生きてゆけるのだ。
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