生と死の分かれ目なんて・・・
2004年10月28日 ヲトナ道相変わらず地震が続いていて、やっぱり周りでは「地震が怖いね」という話がどうしても多くなる。
確かに、怖いよね。自分の住んでいる地域に大きな地震が来て、自分達にどれだけの被害がいつ降りかかるか、なんてこと誰にも解らないことだもの。
私は二十歳の時に一度交通事故で死にゾコナっているので、「生と死の分かれ目」なんてほんの些細な差なだけであって、自分の人生のすぐ横には常に「死の影」が存在しているものなんだ、という気がいつもしてしまう。
だから、地震だって台風だって飛行機事故だって、来る時は来てしまうものなんだよ。そうして、自分がもしかしたら死んでしまうことだって有り得るんだよ、と結構実感を伴って思っているかもしれない。
今まで天災でそこまで怖い思いをしたことなんて、一度も無いのにね。
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる、主人公がキキに導かれて迷い込むワイキキのダウンタウンにあるオフィスビルの一部屋。白い骨が何体も静かに存在している部屋。
あんな風に、自分の関係する「死の部屋」みたいなのが実はどこかにひっそりとある様な気がしてしまう。それは自分の無意識のレベル、という場所なのかもしれないけれど。
前の会社で一時福祉機器を輸入販売する仕事を少々していて、アメリカの福祉機器製造・販売メーカーの人達と話をする機会があったのだけれど。
彼らはずっと車椅子をデザインしたり製作したりする仕事をしていて、自分達の製品を担いで全米の福祉関連の展示会を回っている。
彼らにとってはそういう会場で、先天性なり後天性なりのハンデを負った人々と話をして製品を買って貰うのが日常であるわけで。
「○○(←私の名前)、人々は自分が健康で五体満足で生きていられるということをあまりにも当たり前で感謝せずに生きているけれど、それは本当は実に幸運だっただけであって、とても壊れやすい - fragile- ものであるということをもっと認識すべきだと僕は思うんだよ。」
と、いつもいつも言っていた。
実際にこういう福祉関連の展示会というものには、本当に様々な障害をもった人達が情報を求めてやってくる。
「そうだよね。私もいつもそう思っているよ。」
私は交通事故で病院を数度移ったのだけれど、最後に入院していた病院はいわゆる「三次救急」の病院だったので、ありとあらゆる重症患者が搬送されてくる病院だった。
隣のベッドに癌の末期患者が寝ていたこともあったし、右手と左足を途中から切断された女性もいた。顔中に火傷を負った若い女の子もいた。バイクの事故で下半身付随になってしまった19歳の男の子もいた。パンやのバイトで右手の親指を切り落としたと高校生が運び込まれたのも見た(←無事くっついたけど)。
もちろん亡くなる人も(多分たくさん)いた。「今からロビーには出ないように」というアナウンスがあった時は、誰かが無くなってエレベータで地下の霊安室に運ぶ時だった。
丁度同じ時期に大学を休学していた級友は悪性の腫瘍で、私が卒業する頃にまでには亡くなってしまった。
二十歳やそこらの頃に「これでもか」という位に、濃厚な死の影を見せられれば、やっぱり心のどこかにそれは染み付いてしまう。
死や怪我あるいは病気、と言ったものたちは私の無意識のどこかにとてもしっかりと住み着いているのだろう。
まぁ、それでもやっぱり、「猫どものフードと水だけは確保しておいてやらないとなぁ。人間と違って我慢しろと言うわけにはいかないし。」と思ってみたり、「火事が起きたいやだなぁ。猫、どうしよう。」と思ってみたり。
もちろん自分の身の上も含め、日々安泰でいて欲しいなと思って暮らしているわけですが。
みなさん、本当に。死んじゃう時は死んじゃうんですよ。ころっと。あるいは本望ではなくても苦しんだりしながら。
楽しいことしておきましょう、生きているうちに。
確かに、怖いよね。自分の住んでいる地域に大きな地震が来て、自分達にどれだけの被害がいつ降りかかるか、なんてこと誰にも解らないことだもの。
私は二十歳の時に一度交通事故で死にゾコナっているので、「生と死の分かれ目」なんてほんの些細な差なだけであって、自分の人生のすぐ横には常に「死の影」が存在しているものなんだ、という気がいつもしてしまう。
だから、地震だって台風だって飛行機事故だって、来る時は来てしまうものなんだよ。そうして、自分がもしかしたら死んでしまうことだって有り得るんだよ、と結構実感を伴って思っているかもしれない。
今まで天災でそこまで怖い思いをしたことなんて、一度も無いのにね。
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる、主人公がキキに導かれて迷い込むワイキキのダウンタウンにあるオフィスビルの一部屋。白い骨が何体も静かに存在している部屋。
あんな風に、自分の関係する「死の部屋」みたいなのが実はどこかにひっそりとある様な気がしてしまう。それは自分の無意識のレベル、という場所なのかもしれないけれど。
前の会社で一時福祉機器を輸入販売する仕事を少々していて、アメリカの福祉機器製造・販売メーカーの人達と話をする機会があったのだけれど。
彼らはずっと車椅子をデザインしたり製作したりする仕事をしていて、自分達の製品を担いで全米の福祉関連の展示会を回っている。
彼らにとってはそういう会場で、先天性なり後天性なりのハンデを負った人々と話をして製品を買って貰うのが日常であるわけで。
「○○(←私の名前)、人々は自分が健康で五体満足で生きていられるということをあまりにも当たり前で感謝せずに生きているけれど、それは本当は実に幸運だっただけであって、とても壊れやすい - fragile- ものであるということをもっと認識すべきだと僕は思うんだよ。」
と、いつもいつも言っていた。
実際にこういう福祉関連の展示会というものには、本当に様々な障害をもった人達が情報を求めてやってくる。
「そうだよね。私もいつもそう思っているよ。」
私は交通事故で病院を数度移ったのだけれど、最後に入院していた病院はいわゆる「三次救急」の病院だったので、ありとあらゆる重症患者が搬送されてくる病院だった。
隣のベッドに癌の末期患者が寝ていたこともあったし、右手と左足を途中から切断された女性もいた。顔中に火傷を負った若い女の子もいた。バイクの事故で下半身付随になってしまった19歳の男の子もいた。パンやのバイトで右手の親指を切り落としたと高校生が運び込まれたのも見た(←無事くっついたけど)。
もちろん亡くなる人も(多分たくさん)いた。「今からロビーには出ないように」というアナウンスがあった時は、誰かが無くなってエレベータで地下の霊安室に運ぶ時だった。
丁度同じ時期に大学を休学していた級友は悪性の腫瘍で、私が卒業する頃にまでには亡くなってしまった。
二十歳やそこらの頃に「これでもか」という位に、濃厚な死の影を見せられれば、やっぱり心のどこかにそれは染み付いてしまう。
死や怪我あるいは病気、と言ったものたちは私の無意識のどこかにとてもしっかりと住み着いているのだろう。
まぁ、それでもやっぱり、「猫どものフードと水だけは確保しておいてやらないとなぁ。人間と違って我慢しろと言うわけにはいかないし。」と思ってみたり、「火事が起きたいやだなぁ。猫、どうしよう。」と思ってみたり。
もちろん自分の身の上も含め、日々安泰でいて欲しいなと思って暮らしているわけですが。
みなさん、本当に。死んじゃう時は死んじゃうんですよ。ころっと。あるいは本望ではなくても苦しんだりしながら。
楽しいことしておきましょう、生きているうちに。
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