シアターブルックのライブの休憩時間に、こういうイベントの紹介を事務局の人が来てしゃべっていた。

ネィティブ・アメリカンの精神的リーダーの一人と言われる人がアメリカで始めた、夏至の日に聖地で大地に平和の祈りを捧げるイベント。

アメリカで何年かしたあと、世界で行っているらしい。

今年は日本の聖地である富士山や月山など複数箇所でとりおこなうらしい。

ビデオが10分くらい。紹介のトークがやっぱり10分くらいかな。

個人的には、結構面白かった。

このイベントの紹介ビデオの中で、南米で行われた際の伝統舞踊の披露がすごく綺麗で・・。

よくインターナショナルなイベントとかがあると、その国の舞踊ってよく紹介されるのだけれど。(この場合の舞踊は、お祭りなどで自分達が踊るタイプの舞踊ね、バレエとかじゃなくて。)

で、色々な国の伝統舞踊ってそれほど興味が無くても見てると結構楽しいんだけど、日本ってアイヌか沖縄に行かないと、見てて面白いっていう伝統舞踊ってあんまり無い気がするんだよね。盆踊りなんて見てても面白くないし。日本舞踊はまたちょっと趣旨が違うし。

だもんで、北米と南米のネィティブの人たちがダンスで交流している様を伝説のイーグルとコンドルの出逢いの再来、なんて紹介してお互いにダンスをしている姿はちょっと鳥肌ものに美しかったのであった。

個人的にこの祈りを捧げることが、平和にどの程度「効く」のかは、よく解らない。タイジ君が、「個人として無力感を感じるという現状はあると思うけれど、祈ることから始めるってのもありだと思う」という様な事を言っていたけど。

そうかもしれない。

そうじゃないかもしれない。

でも、私も、この世界中で人間が地球を消費している姿に、眩暈がしそうなくらい恐ろしい、と思うことが時々ある。

日本やアメリカにはあまりに物が溢れていて、息苦しくなる。

だけれど、それをどうして良いのか、もう誰にも止められない気がする。

イスラエルとパレスチナの紛争の記事を読むたびに、とてもとても悲しくなる。

ちょっと前には、和平が実現しそうだったのに、今やもうあの時点へ戻る道は残されていないかのように見える。

友人が住んでいる、ヨーロッパに残された分断国家・キプロスを再統合するかどうか議論が行われている。

もちろん、ブッシュは大嫌いだ。

この限られた惑星の上で、私たちは一体どこへ行こうとしているのだろう。

 聖地

 祈り

 伝統

 精神
 
 知恵

 
 平和


何をどうしたら、確信が持てるのだろう。

キリストやムハメッドを信じることが出来ない自分には、神と相対する、絶対的な真実、というものが信じられない。

こういう私が祈るとしたなら、一体何に対してなのだろうか。

祈りは人間にだけできること、と田口ランディも書いているけれど。


答えはどこか、遥かなところ。

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