骨抜き

2003年6月7日
今日は恐らくもう10年近く行っている整体マッサージに、ちょっと久しぶりに行った。

私は昔交通事故にあって、左右の脚の長さが2cm位違うので、腰やら膝やら足首やら、あちこちに負担が掛かってしまうのだ。

なので、なるべく月に1度はこの先生のマッサージを受けるようにしてきたのだけれど、先月は何となく行きそびれてしまっていたので、ちょっとご無沙汰。

久しぶりのマッサージは至極の時。もちろん痛い場所もあるけれど、固くなってしまった筋肉がほぐれて行くのはなんとも気持ちがよい。

ふぅ、骨抜きじゃぁ。。。

その後、実家による。実家に寄ると自分で何もしなくても(自分の家では、料理は自分で勝手に出来上がったり、歩いてきてくれたりしないので、何かしらしないといけないけれど)料理がテーブルに並ぶので、ついつい食べ過ぎてしまう。。

これも、やっぱり骨抜きの時。。

今日は中学生の甥っ子と一緒に「機関車トーマス」のビデオなど見てしまった。8年振り位じゃないかな。我が甥っ子は何故だか14歳にして再びこのトーマスのビデオに凝っているというかはまっているらしい。

これは大元はイギリスの番組だと思うのだけれど、オリジナルはナレーションをリンゴ・スターがひとりでやってるんだよね。

日本ではポンキッキーズで放映していて、森本レオがナレーションでそれぞれのキャラにもそれぞれ違った声優が吹き替えをしている。

その違いって子供向けテレビ番組とかアニメの歴史みたいな文化の違いって感じだよなぁ、と当時思ったのを思い出した。

帰り道、ほろ酔いでシアターブルックの新譜を聴く。

なんと言っても、新参者ゆえ、佐藤タイジ語の解読からしているという感じ。

オレタチフューチャーと言われても俺たち(が)フューチャーなのか俺たち(の)フューチャーなのか、、、とそこから始まるわけです。

村上龍が暴力というフィルターを通じて語るように、村上春樹が表裏一体の異次元を行ったりきたりすることで問題に向き合うように、吉本ばなながSuper Natural Powerを既成事実として語るように。みんな、自分語とか自分フィルターがあるのでね。

で、ただのあてずっぽの印象ですが、佐藤タイジ氏は自己不安から自己肯定のフェイズに入ったのではないかしらん、、、と漠然と感じられたのであった。

今日聞いたのが多分4回目くらいだと思うけれど、聴けば聴く程良いかもしれない。もうちょっと聞き込みたいな。

今日から「症例A」という本を読み始めた。多島斗志之という作家の作品。この作家のことも作品のことも全然予備知識はないのだけれど、伊勢佐木町の有隣堂で、何故だか妙にたくさん並べてあって、精神病を題材にしてるので買ってみた。精神領域については以前からずっと興味があるし、ちょこっと読んでみたら面白そうだったので。

あ〜、明日は日曜日。至極の朝寝坊。。

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